マスオさんの真実
お立ち寄りいただきありがとうございます
昨日は更新できずにすみませんでした
旦那の仕事の愚痴にひたすら付き合うはめになってしまい、終わったと思ったら次女が泣き出し…
気付いたら寝落ちしてました…。
家事や育児の隙間時間でやってるので、今後もこのようなことがあると思いますが、よろしくお願いします😭
このブログは…
去年6月に義実家を夜逃げのように脱出しましたが、その後の出来事を書いてます。
↑お時間がありましたら読んでみてください。
脱出のきっかけはこちら↓
今回の話は長いです…
引っ越してから約3か月。
この時も、義両親から連絡は来てません。
新しい環境にも慣れたものの、
別の課題が降りかかります。
私が切迫早産で入院
去年の9月半ばの妊婦健診で、健診からそのまま入院になりました。
前々から入院になるかも、とは言われてたけど
本当にそうなるとは。
※今回の妊娠~出産~産後の記録も、今回のようなシリーズ化してます。
お時間ありましたら、こちらもどうぞ→
(第1話に飛びます)
切迫早産の入院中、私サイドの話は
(第4話に飛びます。旦那や子どもたちもちらっと出てきます)
入院決定時、旦那は仕事を辞めて有給消化中だったので、ほぼ専業主夫状態。
しかし、子ども二人の面倒を見つつ家事をこなすのはしんどい、もし可能なら私の母に何日かだけでも来てもらえないか、と本人から相談があったので、私の母に入院報告がてら相談しました。
入院した日の旦那と子どもたちの夕ごはんはレトルトカレーにしたらしいですが…
まぁ長女の幼稚園終わりの足で病院に来てくれて、入院の荷物を届けてからの帰宅な上に私がいない状況というのも拍車をかけたかな…
母もパートとは言えど仕事をしている身だったので、休みの暇な日に来て子どもたちの面倒かごはん作りをしてもらえたら…とリクエストしたら
まさかの翌日から泊まり込みで来てくれた
※状況が状況だから、と仕事は長期休暇扱いにしてくれたそうです。
ここで私は思った訳です。
旦那と実母なら大丈夫だと。
特に根拠はないけど、まぁ旦那とうちの母なら私と義両親みたいな感じにはならないでしょ
でもその根拠のない大丈夫は、
わずか数日で打ち砕かれました
入院して3日目くらいかな。
旦那から諸々の愚痴LINEが来ました。
内容としては
・子どもたちが食事中歩き回るなど落ち着きがないからおばあちゃんが注意する
→結果、子どもたちが実母になつかない
・朝食がなぜか食パン一枚しか支給されない
・ずっとキッチンに立ってるからコーヒー入れられない
…などなど。
最初に愚痴のLINEもらった日から、入院中ほぼ毎日愚痴LINEが来てた。
最初は
私がその場にいないからこうなるんだ、愚痴が出てくるんだ
って思ってた。
私が潤滑油的な役割を果たせてないからだ、と。
旦那もね、
「俺が来てくれたら助かるって言ったし、藍緋のお母さんもわざわざ仕事休んで来てもらってるんだから愚痴なんて言っちゃいけないって分かってはいるんだけどね…
お母さんの悪口言っちゃってごめん。」
と申し訳なさそうに言ってたんだけど…
でも結局、私が一時退院して自宅にいた時も旦那の愚痴は止まらなかった。
(途中から仕事復帰して愚痴の回数は減ったけども)
私からは内容によって母にやんわり伝えたり、はっきり言ったりして改善してもらった。
次女が退院して一ヶ月健診やお宮参りを終えて母は帰っていったけど…
全然大丈夫じゃないじゃん
旦
那はうちの親との一時同居だって無理だった
※ちなみにうちの親は「身の振り方くらい考えてるから」と同居の考えはない意思表示をしてくれてます。
でもね。
今になってよーく考えたんだけどさ。
もしあの状況で、私が母寄りの味方をしたら?
旦那に「お願いして来てもらってる上に、お金も出してもらってるんだから、それくらい我慢してよ」と旦那を蔑ろにしたら?
ただでさえアウェーな旦那は
家での居場所がなくなる
一番分かって欲しい相手にこんな対応されたら本当にしんどいはずだ。
これって
世間のお嫁さんが旦那さんの両親と同居してるのと同じ状況じゃない?
世間のお嫁さんを私の旦那に置き換えれば、そうなるよね。
そしてほとんどの旦那さんは仕事で不在。
私たちの今回の状況はざっくり言えばマスオさん状態に近い感じだから厳密に言えば違うんだけど。
私の母は旦那から見たら義母になるし、
当の私は入院で不在。
立場的に
嫁と姑に近いよね。
(血の繋がってない親子)
最初は思うところがあっても我慢する。
愚痴なんて言わない。
だって
好きな人のことを育ててくれた両親のことなんて悪く思いたくないし、言いたくない。
親の悪口を言われた旦那さんだっていい気はしない。
それでも小さな違和感は少しずつ増えて。
雪だるま式に大きくなって。
愚痴や思うところを言わなきゃしんどくなる。
これはさ。
お嫁さんは旦那さんにしか言えないんだよ。
だって義両親には嫌われたくないし、変な角だって出来ることなら立てたくない。
ただでさえアウェーで肩身が狭いんだし。
唯一頼れるのは旦那さんだけ。
それなのに、奥さんの訴えを
「また小言かよ」とまともに取り合わなかったら?
自分の親の味方をしたら…?
結果は分かりますよね。
上から目線の考察ですみません。
でも、両方の親との同居を旦那と経験したからこそ言えるんです。
奥さんが「これはどうかと思う」「同居しんどい」と言ったら、
ちゃんと親身になって改善するためのアクションを起こして欲しい。
もちろん、旦那さんも板挟みになるから大変なのは分かります。
内容によってはすぐの改善は難しいものもあるだろうし、自分の親に意見するのだって場合によっては考えもの。
好きな奥さんに両親の悪口言われたら、誰だって複雑な気持ちになります。
私も旦那に愚痴られたときはモヤモヤしました
それでも奥さんの気持ちは蔑ろにしないで欲しいです。
奥さんは色々考えて同居を承諾してくれたはずです。
旦那さんの家に入ると決めた以上、自分の実家には滅多に帰れない覚悟も決めたと思います。
目に見えない覚悟と気持ちを、どうか汲み取ってください。
本当にすみません。
偉そうな発言してすみません。
でもどうしても伝えたかったんです。
ちなみに…
旦那も最初は私と同じこと思ってたらしい。
(自分の母親は「テレビの再現ドラマでやるような【嫁姑バトル】みたいな重箱の隅をつつくようなことはしない」って言ってたし、俺からも「嫁は片付けや掃除が苦手」って伝えたら「掃除は私が好きだからやるよ」って言ってもらえたし。
大丈夫でしょ)
でも蓋を開けたらこれだよ。
義母は私の悪口散々言ってたし。
同居前に言ってたことなんてどこへやら。
うちは同居大丈夫だよ!
いけるいける~♪
なんて思ったら、
いつか痛い目みます。
お互いの親と(一時)同居したものの、あまりいい結果を見出だせなかったコミュ障夫婦の経験がどなたかの参考になれば幸いですが、
もしこの記事を読んで不快になられた方がいたら、本当にすみません。
もはや博愛主義ではマスオさんを説明しきれない
VOICE更新♡
そう言いながらも、さらに上を目指す男なのでは?(*^^*)
そちらも近付いてきていて、待っているだけでもドキドキします💓
今夜は !
ゲストは安田顕さん。放送は23時から。
イケたメンズのさし飲みトーク(o´∀`o)
とても楽しみです🍸
4月5日の『あさイチ』!
なつぞら 舞台裏 満載、
ふ~じこちゃんの未公開ありーの、
ルービックキューブ ありーの、
マラソン話ありーの、
見所たっぷりでとっても良かったですね。
楽しそうに好きなことを沢山話してくれて幸せでした。
しかもアップが多くて、爽やかでカッコ良く、綺麗で美しく…
中身も外見もこのひとが好きだわぁ💕と再認識しました( 〃▽〃)
なつぞらの紹介…
柴田剛男さんについて、わかりやすかった!
直人さんが嬉しかったシーンは搾乳シーン🐄
カットが割られず、顔から手元まで続けて採用されていたこと。
見ていて私も思いました😊
忘れられないシーンは、カットがかからなくてどうしよう…と思った、ふ~じこちゃん のシーン。
台本は「ふじこちゃん、(俺も)寂しいよ。」で終わりだったけど、カットがかからなかったため「ふ~じこちゃん」とか「寂しいよ」とか芝居を続け、本番はそれがうまく編集されていたのだとか(*゜Q゜*)
それを語る直人さんが可愛くて(*≧з≦)
未公開映像を見せてくれたNHK様感謝です✨
「それはやめて!」も、照れている直人さんも最高です♡
アニメーションがテーマだから…と、ルパンの事を聞いてくれたケンコバさん。
ちゃん付けで呼ぶので「富士子ちゃんってふじこちゃんじゃん!」とは思ったけど、今後寄せる予定もないとか(笑)
子なっちゃんの粟野咲莉ちゃん💕
かわいい~(*´∀`*)
ルービックキューブ揃えるのに困っていたら「ちょっと貸して」→ガチャガチャ→「揃えたいときはいつでも言って」と言って去ったとか(笑)
「かっこ良い」を連呼してくれて💕
「そんな言い方じゃなかったでしょー」と照れる直人さん😳
そのあと咲莉ちゃんは見事2分12秒で揃えて、驚きながらも「咲莉ちゃん、ありがとね」とアップでお礼を言う直人さん💕
咲莉ちゃん、ありがとね😆
ルービックキューブ立体パズル、直人さんもスタジオで生披露!
進化する男⤴️おめでとう🎉
立体パズル講座も面白かったし、22秒についてケンコバさんが聞いてくれて、さらに嬉しそうなお人が見られました💕
華丸さんがなつぞらのセットにお邪魔したVTRでは、北海道でのロケと東京でのセット(しかも半年以上空いていたりする!)を織り混ぜながら作られている様子を見せてもらえて、ひとつのシーンでも細かく繋がっているのがわかりました!
視聴者からのメールで…
マスオさんのたったひとつの願い「お風呂上がりに裸でリビングに行きたい!」(笑)
「そりゃでもなかなかドラマじゃ再現出来ないから大丈夫…」とかって言っていたけど、台本にあったらやってくれますよね?( 〃▽〃)
50年以上家族に隠れてタバコを吸っていた方には、吸っていない人からしたら気付くのだから、「早く言ってあげれば良かったのに。50年間ご苦労様でしたm(_ _)m」って。
優しいなぁ♡と思う。
「おしゃれなイズム」のお話も😊
いつも仕掛ける側だから?サプライズという言葉に敏感なお人、キョロキョロ(笑)
音尾琢真さんからVTRメッセージ♪
本当に仲良しそう⤴️
スズキのカラスミ話は、こだわり、作り方なども細かく話してくれて、立体パズル並みに熱心で、好きなことには夢中でとことんやるお人だなぁと思いました。
なつぞら北海道ロケでのワカサギ釣りのお話も聞けて嬉しかった♪
目標を実現させる男、と紹介されハーフマラソンのお話も。
走ることになった経緯や、子どものときお兄さんやお父さんと週末走っていたこと(置いていかれて暗い夜道をひとり心細く走る直人少年、想像しちゃった♡)、
今回走り始めての挫折、練習では12キロまでだったけど本番は走りやすい環境もあり無事完走できたことなど話してくれました。
フルマラソンについて、宣言しときます?とケンコバさんに言われて、
「あははは!!」と豪快に笑いつつ、
「今日が自分にとって一番若い日なわけじゃないですか!どんどん先送りにするとフルマラソン走れないかもしれない。そう思うと、近いうちにチャレンジしておこうかなぁっていう…」と。
今日が自分にとって一番若い日!!
当たり前だけどそんな風に考えたことなかったので、ハッとしました😮
この作品について…
「やっぱり記念すべき100作目に参加させていただいてほんと嬉しいですし、朝ドラらしい作品、笑いもたくさん詰まってる作品、でも感動するシーンもあって。
僕は20年ぶりに朝ドラに参加させてもらうのでここでなんか恩返しができたらなと思ったのですけど、でも皆さん素敵な方ばっかりだし、子役のみんなはとてもみずみずしい芝居をするし、牛も名演技をしてますからねぇ。
負けずに頑張らないとな!と思っていますね。」
続いて、なつぞらアニメーションをみんなで作るの巻。
うんにゃ!と丁寧に描き上げたお人😊
大吉さんケンコバと繋げて…
ケンコバさんのオチを先見ちゃったお人(笑)
直人さんじっくりやってみたい!って言っていたし、作ったら見せてほしいな!
ニュース速報が入ってひやひやしたけど、エンディング♪
今日も四時おきで七キロ走った!に驚き😲
「だから、『あさイチ』じゃなくて『ごごイチ』」だそうで、うまい👏
夏のつあーについて「楽しみですね!」と言われるとすごく嬉しい。
ご本人が楽しいのが一番だから🎶
それでこちらも楽しいから💕
令和初ツアーで、令和初朝ドラになるのですね!
一週間大吉さんと司会をつとめたケンコバさんへの優しい眼
差しのアップで終了(^ー^)
楽しい楽しいあさイチでした。
マスオさん なくした夢、あずかってます。
今日は姉に関する愚痴を少しばかり。
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私の姉はとにかく極端に目立ちたい人で、人から注目されることに生きがいを感じている。なんでも一番にならないと気が済まない。
他人の注目を集めるために、人とは違う派手な目立つ服を着て、人とは違う意見を言い、人とは違った行動を取る。人が集まる場所には必ず遅刻して行く。
どこへ行こうが、その場所で一番目立つ存在にならないと気が済まない。町おこしのボランティア活動グループならリーダーになって仕切りたい。途中から参加したので既に先輩格のリーダーがいる場合は、その人がグループを辞めるまで執拗にいじめる。たまたま通りかかった知らない街の秋祭りの蕎麦打ち体験だったとしても、参加者の中で一番上手だと言われたいので、大汗をかいて血相を変えて本気で挑戦し、場の和やかなムードを壊す。
当然のことながら、周りにいる人たちは皆、姉のことを面倒臭い人扱いする。仲間外れにしたり完全に無視すると、これまた後の仕返しがウザいので、上手くかわして敬遠する。
メンバーになっている社会活動の会について、姉は「私がこんなに一生懸命やっているのに、誰も正しい評価をしてくれない。」「男の人たちはいつもミニスカートを着て来るガリガリに痩せた阿保そうな女ばっかりちやほやして阿保みたい。」と、常に文句を言っている。
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そんな姉の唯一の自慢というか、自信というか、心の拠り所になっているのが「女社長」という肩書きである。
会社の規模は、男性の正社員二人、週3日の主婦アルバイト一人。ちなみに男性社員は離職率が高く、1年か1年半で人が入れ替わる。会社は自宅の敷地内にあるので事務所の賃貸料なども発生しない。
元はといえば、父が60年前に創業した会社である。父の死後、母が商売を引き継いだ。姉と結婚したマスオさんが母の後を継いだが、姉と離婚したので母から解雇された。そこで姉が社長になった。ちなみに会社の株は今でも母が全て所有しているので、姉は雇われ社長でしかない。
ところが姉の「私は女社長」ぶりは一部上場企業の社長レベルに匹敵する。たまに姉と一緒に外食した際に、お店の人と他愛ない世間話中に職業を聞かれたら姉はすかさず自らを「社長です。」と名乗る。隣に座って黙っている私は、穴があったら入りたいほど恥ずかしい。何処へ行ってもこの調子。二言目には「社長です。」と声高らかに叫ぶので、私は出来る限り一緒に外出しないよう工夫している。
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姉は会社の仕事はほとんどしていない。毎日、地域のバランティア活動グループやイベント主催の運営委員会の打ち合わせで忙しい。正午を過ぎる頃には外出し、夜中まで帰ってこないのが常だ。夕方に帰って来ると、着替えてまたすぐ出て行く。従業員が帰る際に声をかけて見送り戸締りをするのは、腰が曲がってきた80歳になる母の役割である。
姉は家事は全くやらない。毎日夜中に帰宅するので朝が起きられない。だから子供達のお弁当が作れない。朝食も作れない。以前は、現金引き出しが設けられていたので、子供達は好きなだけの現金を持って出て行き、登校途中にコンビニで何か買って食べていたようだった。子供達のお金遣いが荒いことに腹を立てた姉は現金引き出しをやめてしまったので、今は子供達は毎日朝食抜きである。昼のお弁当もないから、自分でアルバイトをして稼いだお金で食べている様子である。そのお金もない時はお婆ちゃんがお小遣いを渡す。お婆ちゃんはお金を使うことは嫌ではないが、母親が母親の責任を果たしていないことが原因なので、そっちが納得できない。
毎日の掃除、洗濯、犬の世話、食事の買い物と準備、菩提寺の檀家会の役割、これらは全て80歳の母がやっている。昨年、母が背骨の圧迫骨折で3ヶ月寝込んだことがあった。原因は濡れた洗濯物が入ったカゴを持ってベランダの階段の上り下りを日々していたことだった。後に試しに測ってみたら、洗濯カゴは7キロだったらしい。洗濯物が乾きにくい季節は家干しになってしまう。「なんで家の中こんな臭いの!」と姉が母を責める。
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本気か冗談か、同類項が大勢いるのか、人を踊らせて喜んでいる人が多いのか、あるいはギブアンドテイクなのか、世間ではそんな姉を祭り上げる人がたまにいる。たまに姉は人前で「女社長の苦労話」というテーマでプレゼンをすることがある。母は「棚ぼたやん。仕事何にもしたーれへんで。なんの苦労もあらへんで。何話すの?」と陰口を叩くが、姉のことを何も知らない人はプレゼンだけ聞いて話を鵜呑みにする。SNSでヤンヤヤンヤと盛り上げる。
そんなSNS投稿をたまたま目にしてしまった時は、今から6年前のことを思い出す。
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医療ミスで命を奪われて、夫が突然この世を去った時、私はハワイに一人でいた。夫が死ぬ2年ほど前から、姉と母とは絶縁状態になっていた。
ある日、突然姉からメールが送られてきた。実家の家・土地、会社の資本金、母が死んだ時に残すであろう現金全てに関して、遺産相続権を無条件で完全に放棄する書類にサインして送り返してくれと書いてあった。そんな協議を以前にしたことがなく、私としては「なんで私が全て放棄しないといけないの?」と思った。しかも姉のメールには「これが終わったら私は生涯安泰です。あなたは50歳過ぎたらきっと橋の下暮らしですね。」と書かれていて、「それが人に物を頼む時の態度か!」と、私ではなく私の夫が激怒した。書類へのサインを断ったことで、私は母と姉から完全に絶縁されてしまった。
夫が死んだ時、2年ぶりに実家に電話をした。でも誰もお葬式に来てくれなかった。お葬式の次の日から、私一人で会社を閉める手続きを始めた。借りていた事務所を整理して明け渡した。
夫の死後2週間が過ぎた時、賃貸していたマンションの部屋の大家から「夫が死んだなら今すぐ出て行け」と言われた。「首でも吊られたら不動産価値が下がるから未亡人を住まわせたくない。」という理由だった。賃貸契約はまだ半年残っていた。追い出すのは契約違反だ。がしかし、踏ん張って居座ったところで意地悪されるのが予測できた。
夫は死んでもういない。
仕事もやめたから今後は収入がない。
生命保険に入っていなか
た。
住むところもなくなる。
困ったなあ・・・
なんだかもう、嫌になった。アメリカもハワイも、嫌になった。夫の死因すら知らないままだけど、何か怪しいけど、泣き寝入りして、もう日本へ帰ろうと思った。
電話して、母に「日本へ帰ろうと思う。マンション借りて住む。マンションを借りるまでの数週間だけ実家に泊まらせて欲しい」とお願いすると、母は嬉しそうに「帰っておいで。」と言った。
次の日から荷物の整理を始めた。夫の遺品。遺品整理にはまだ時期が早すぎるけど、全部持って海を渡るのはナンセンスだと思えた。だから泣きながら処分した。服も靴も捨てた。腕時計やお財布、キーチェーンなど、小さなものだけ残して全て処分した。部屋が突然ガランとなった。
連絡をくれると言った母から連絡がない。飛行機の予約をしたいからいつ帰って良いのかを知りたい。3日後にこちらから電話した。母が言いにくそうに言った。
「やっぱり、帰って来られると、困るのよ。家族会議を開いたの。お姉ちゃんに一生懸命、あの子を帰らせてやって!ここに一緒に住まわせてやってくれ!と頼んだのよ、私。」
え?そこに一緒に住みたいなんて、私言わなかったよ、と思った。母は勘違いをしていたようだった。まずい。母が喋り続けた。
「そしたらね、孫たちが、私らからこの家を取るつもりや!この家は渡さへん!、と言い出して。結果、夫が死んだぐらいで帰って来たいって人生そんなに甘くない、という子供達の言葉で結論が出たのよ。お姉ちゃんが、まだ謝罪してもらってへんしなあ、と言って会議は終わったの。だからあなたには悪いけど日本に帰ろうなんて思わないで。お姉ちゃんが言ってる。あなたはもう日本を捨てた身だ、と。あなたがいないことが当たり前でこっちの生活は回っている、と。私たち、もう、あなたの話すらしないのが常で、今更帰って来られると私たちの暮らしのリズムが狂うから迷惑だ、と。」
そして母の最後の言葉はこうだった。
「そっちで死んでくれへんか?」
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結局私は夫の死後2年と8ヶ月が過ぎた時に日本へ移住した。移住後すぐに遺産相続権を全面的に放棄する書類にサインをしてた。
マンションを借りるまで3ヶ月実家に泊まった。本当はすぐにでも出て行きたかったが、母が「戻って来てすぐ出て行くと私たちが意地悪したみたいに近所が思うから、やめて。」と言ったので、我慢した。その3ヶ月、お皿を洗っていると中学生の甥っ子が突然やって来て水道の蛇口を締めてしまったこともあった。「水使い過ぎ。僕のお母さんのお金やし、無駄使いせんといて。」
でも、何より一番心外だったのは、日本へ帰国して実家へ泊まった翌日の朝だった。キッチンで母が淹れてくれたコーヒーを飲んでいた私の顔を見るなり、姉が言った言葉が今でも忘れられない。
「離婚と死別。離婚の方が辛いし。あんたより私の方が苦労が多いし。あんたより私の方が可哀想やし。」
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冒頭で語った通り、姉はなんでも一番にならないと気が済まない。だから、不幸さでも一番にならないと気が済まない。一番不幸、一番辛い、一番可哀想。
私はどうだろうか?
もちろん、不幸さで一番にはなりたくない。かと言って、幸せさでも一番になることに興味がない。幸せにはなりたいが、一番でなくてもいい。幸せも不幸も、人と比べて順序をつけるものではないから、一番も二番も存在しないと思う。姉は不幸な人だと思う。
帰国から3年半が過ぎた今、私は姉とも、母とも、良好な関係を保っている。水道の蛇口を閉めに来た甥っ子も、普通に話してくれる。買ったばかりの新作iPhoneを見せてくれる。「人生そんなに甘くない」と言った姪っ子も、私が実家に遊びに行くと隣に座りに来て好きな男の子の話をしてくれる。先日結婚した甥っ子も、お祝いに10万円包んだらちゃんと披露宴に招待してくれて「ありがとう」と言ってくれた。
私は馬鹿だと思う。人生で最も身内の愛と支えが必要だった時に助けてくれないばかりか「死んでくれ」と言った人たちを許して生きている。心の底には今でもわだかまりは、もちろん、ある。でも、それを微塵も見せないことができるぐらいには彼らを許している。多分自分のために。憎しみと怒りの感情は、私を一番疲れさせるから無意識に避けているのだと思う。
でも、やっぱり、大馬鹿ものだ。