マスオさんについての3個の注意点

マスオさんについての3個の注意点

マスオさんなんて実はどうでもいいことに早く気づけ

こんにちは。
歴史家とっきぃです。改訂記事です。

歴史を学ぶということは、自分自身の生き方を鑑みることです。
応用編として、人体の構造を歴史事跡に当てはめると面白い。
例えば、内臓は大脳なんかより歴史(発生)がずっと古いです。

特に腸管(ちょうかん/小腸・大腸)は人間の脳組織にとって最大の外様大名と云えます。上端に腹腔神経叢、前衛にヘソ(臍/キャノピーかつ外部との直接受信機)、下端に臍下丹田(せいか・たんでん)と総構えで情報センターを布陣しています。そして総血液量の半分を湛(たた)えている鉄壁の要塞でもあるんです。内蔵同士はホルモンで情報をやり取りをしています。ちなみに頭部の血液量は全体の四分の一です。大脳が徳川幕府ならば、腸管は島津家や伊達家など、鎌倉幕府つまり天下草創(原生動物発祥)以来の名家に相当します。

とまぁ、歴史の応用は面白くてやめられません。

というわけで、今回は陽気でお気楽な次男と、あげまん女房のお話です。本邦にも頼朝夫人(政子さん)、光秀夫人(煕子さん)、秀吉夫人(北政所さん)とか、あげまん女房はいます。

今回採り上げるのは、珍しい欧州のアゲマン皇后のお話です。

今回記事にするのは、ベルばら記事でおなじみマリー・アントワネットの次兄、神聖ローマ帝国皇帝レオポルト二世と奥方様のマリア・ルドヴィカ皇后です。
Mengs, Anton Raphael - Pietro Leopoldo d'Asburgo Lorena, granduca di Toscana - 1770 - Prado.jpg

レオポルト二世の父親はフランツ一世ステファン皇帝、母親はかの「女帝」マリア・テレジアです。レオポルトは次男。生真面目なハプスブルク家にしては珍しい陽気な性格です。
戦前の日本風に言えば「帝大出の長男、私大出の次男」といった感じです。兄のヨーゼフは、ド真面目な理想主義者で、皇帝に登位するやいなやゴリ押しの改革を打ち出してはその度に失敗しました。現場の検証をやっていないんですね。また、母の宿敵であるプロイセン王国のフリードリッヒ大王にあこがれて、どうしても会いたいと母に懇願。女帝は下げたくもない頭を下げて「(言えた義理じゃありませんが)どうか、うちの子に会ってやってください」とサンスーシ宮殿に住む大王に恥を忍んで手紙を書いたりしています。


この頃フリードリッヒ大王は軍神扱いされていて、当時の貴公子の憧れの的でした。ちなみに今上のロシア皇帝ピョートル三世も大王の熱烈なファンです。

どこか秀才風をふかせるヤなやつの側面がある長男ヨーゼフに比べて、次男のレオポルトは次期皇帝のプレッシャーがないからか、のんびりしています。親父(フランツ・ステファン皇帝)から引き継いだトスカナ大公国では名君レオポル一世として、名を残しています。ちなみに親父のフランツ・ステファンはマリア・テレジアとの婚姻の際、フランスとの交渉で母国ロレーヌ公国をポーランド王に割譲しました。で、その代替として得たのがトスカナ大公国でした。首都はフィレンツェです。近代の濫觴(らんしょう/始まり)たるルネッサンスが始まった都市として有名ですが、逆に言えばそれだけやかましい側面があるんです。この難治なフィレンツェをきっちりと治めたばかりか、蓄財や農場経営の才能までみせるのだから、この入り婿皇帝フランツ・ステファンはたいしたものです。表向き(政治)は女房のマリア・テレジアが秀でているので完全にお任せです。入り婿というのは、マスオさんにしろ、中村主水にせよ、針のむしろでつらいものがあります。神聖ローマ皇帝はフランス王と同じく、フランク王国の後継君主ですからサリカ法で男系男子必須なんです。ですので、マリア・テレジアは皇帝にはなれないんです。旦那のフランツ・ステファンが、皇帝フランツ一世として即位します。「女帝」というのはあくまで通称で、正確には「ハンガリー女王」が君主としての肩書きです。
フランツと女帝は恋愛結婚です。王族で恋愛結婚は珍しく、このカップルの他はスペインのカトリック両王(イザベル女王&フェルナンド王)くらいですね。ほかの王族なり貴族なりは、オール政略結婚です。あのルイ十四世なんか、マザラン枢機卿の姪だったマリー・マンチーニに本気で惚れていましたが、スペインとの友好のため泣く泣く別れました。若いころのルイ十四世はちょっと自閉症気味で、日本の家光将軍とどこか似ています。彼の心に寄り添って傾聴したのが、マリー・マンチーニ嬢でした。

要するに、
恋愛結婚なんて夢のまた夢だったんです。フランツ・ステファンとマリア・テレジアはそれを成就させた!
つまり、泣く泣く政略結婚した貴族夫婦たちにしてみれば、存在自体がムカつくんです。女帝は一生懸命に政務に取り組んで汗を流しているから誰も責めないんです。白い目は入り婿の
フランツ・ステファンに自然に向かいます。
ウィーンに居るのはつらいので、フランツ・ステファンは自領のトスカナでヘソクリ蓄財にはげむというわけです。このあたり中村主水介玉五郎(なかむら・もんどの
すけ・たまごろう/「必殺仕事人IV」第43話より)に似ていますね。

そういう親父の生き様を横でじっと見ていたのがレオポルトです。母親の愛情は兄ヨーゼフと、四女姉さんのミミ(マリア・クリスティーナ)が独占していますから、彼の居場所はないんです。このミミという姉貴がまたイヤなヤツなんです。いろんな特技があってそのぶん母親の女帝に取り入るのがうまく、兄弟姉妹のイロイロをぜんぶ女帝にチクるんです。よって兄弟姉妹から総スカンですが、決定的なのが女帝におねだりして恋愛結婚をやってしまった。ですからもう、人間関係が最悪なんです。
ミミの恋愛結婚に反対していたのは父親でした。旦那となる男の気持ちを察したんですね・・・。そんなやさしい親父の背中が
レオポルトの目標だったのかもしれません。ウィーンの宮廷でこそバカにされていますが、この次男坊にとっては、とても大きな背中だったととっきぃは拝察致します。背中で教える父親といえば、「特捜最前線」の橘警部と、「ねぎぼうずのあさたろう」のながきちさんですね。

「ながきち あさたろう」の画像検索結果

レオポルトは父親の崩御に伴い、トスカナを襲封します。
父フランツ・ステファンと同じく統治と、女遊びに人生を見出します。
そんな陽気な
レオポルトのパートナーが、マリア・ルドヴィカ皇后です。スペインからお輿入れしました。スペイン出身ですから真面目で忍耐強いです。女遊びにも割りと寛容です(少なくとも人前では)。ルイ十四世のマリー・テレーズ王妃(スペイン出身)もそうでした。女性がおおらかだと、なぜか男は成長するんです。人類の七不思議といってもいいのではないでしょうか。
そして
マリア・ルドヴィカ皇后は、顔がすごい。
「顔でかい、鼻でかい、口でかい」とみごとにAGEMAN人相です。

AGEMAN人相についてはmzさんのが的を得て面白いです。お薦めです。

そしてなぜか、男は古今東西、その逆(小顔・かわいい鼻・おちょぼ口)を女性の容姿に求める傾向があります。
事実、兄ヨーゼフの奥様は大変な美人で、弟夫婦と並ぶ度に兄は優越感に浸っていたようです。この美人嫁は流行り病でポックリと逝ってしまい、秀才兄貴は
かなりの落ち込みだったみたいです。
美人や床上手はSAGEMANと相場は決まっています。二番目の嫂(兄嫁)は肖像画では顎のとんがった美形ですが、実際は小柄でふくよかな女性だったようです。ところが見た目重視のボンボン兄貴はこの後添えを「チビ!、ブス!、デブ!」と切り捨てて省みませんでした。ま、それだけの器です。母親の没後は単独で、一生懸命に国政改革をやるんですが、前述の通り二進も三進もいきません。当たり前です。女性を粗末にする男に国民がついてくるはずがないんです。「大衆は女だ」は『我が闘争』の名言です。

その逆をいったのが例の次男坊!
いかにも18世紀らしく、女遊びから女性の美質を学び取っていた
レオポルトの勝ちです。トスカナの領地経営はトントン拍子にうまくいきます。あのダンテが辟易した、やかましいフィレンツェ市民からすら名君扱いされたのです。ぜんぶ「顔でかい、鼻でかい、口でかい」マリア・ルドヴィカ妃の陰徳です。レオポルド大公が、はでな女遊びの中で一番大事にした女性はもちろん、マリア・ルドヴィカ妃です。秀吉&北政所夫婦と相似形です。

1790年、
陰険だった兄ヨーゼフ二世の急逝で
次男坊はウィーンに上洛。宗家を継いで神聖ローマ皇帝レオポルト二世を名乗ります。陽気なトスカナとはまったくちがう環境で、さしもの名君も気が滅入ったのかもしれません。親父の苦労した様子がフラッシュバックしたのかもしれません。体調を崩します。さすがに皇后のAGEMAN効果もやや限界にきたのかもしれません。
皇帝に登位してわずか2年で皇帝
レオポルト二世は崩御しました。奥方のマリア・ルドヴィカ皇后も後を追うように急逝します。皇位は嫡男のフランツ・ヨーゼフ・カールが継承しました。
その後、ナポレオンの台頭で欧州はシッチャカメッチャカになりますが、
そういう場に居合わせずにすんだこと自体が最大のAGEMAN効果だったのかもしれないですね。

ルックス重視のヨーゼフ二世と、内面重視のレオポルト二世、同じ兄弟でも対照的な結果を残しました。
緑の上着がトレードマークの兄ヨーゼフに対して、弟
レオポルトは白の上着です。

顔でかい、鼻でかい、口でかい」女性は国の宝です。
世の男性はもっと女性をよく観察しましょう。
ヨーゼフ皇帝みたいに「出まわり物件(婚活用語)」に執着するようでは、人生痴れています。
そして、
男の値打ちとは何か、女性の方々も考えてほしいものです。
レオポルト帝の目標だった父フランツ・ステファンの大きな背中に、広い心、あったかい何かを感じませんか。

母のマリア・テレジア女帝は宝石番長としても有名でけっこうな浪費家なんです(戦争で台所は火の車!・・・なのに)。でも父のフランツ・ステファンは、懸命に政治仕事をして子供も産む恋女房を生涯大事にしました。この”理想の”旦那が亡くなった時にはさすがの女帝もショックで、人生最後の日まで喪服をお召になったそうです。
攻守どころは変わりますが、オシドリ夫婦ぶりは次男夫婦が継ぎました。
レオポルト二世マリア・ルドヴィカ皇后公私共に幸福な夫婦でした。

ごまかしだらけのマスオさん

こんにちは。
歴史家とっきぃです。改訂記事です。

歴史を学ぶということは、自分自身の生き方を鑑みることです。
応用編として、人体の構造を歴史事跡に当てはめると面白い。
例えば、内臓は大脳なんかより歴史(発生)がずっと古いです。

特に腸管(ちょうかん/小腸・大腸)は人間の脳組織にとって最大の外様大名と云えます。上端に腹腔神経叢、前衛にヘソ(臍/キャノピーかつ外部との直接受信機)、下端に臍下丹田(せいか・たんでん)と総構えで情報センターを布陣しています。そして総血液量の半分を湛(たた)えている鉄壁の要塞でもあるんです。内蔵同士はホルモンで情報をやり取りをしています。ちなみに頭部の血液量は全体の四分の一です。大脳が徳川幕府ならば、腸管は島津家や伊達家など、鎌倉幕府つまり天下草創(原生動物発祥)以来の名家に相当します。

とまぁ、歴史の応用は面白くてやめられません。

というわけで、今回は陽気でお気楽な次男と、あげまん女房のお話です。本邦にも頼朝夫人(政子さん)、光秀夫人(煕子さん)、秀吉夫人(北政所さん)とか、あげまん女房はいます。

今回採り上げるのは、珍しい欧州のアゲマン皇后のお話です。

今回記事にするのは、ベルばら記事でおなじみマリー・アントワネットの次兄、神聖ローマ帝国皇帝レオポルト二世と奥方様のマリア・ルドヴィカ皇后です。
Mengs, Anton Raphael - Pietro Leopoldo d'Asburgo Lorena, granduca di Toscana - 1770 - Prado.jpg

レオポルト二世の父親はフランツ一世ステファン皇帝、母親はかの「女帝」マリア・テレジアです。レオポルトは次男。生真面目なハプスブルク家にしては珍しい陽気な性格です。
戦前の日本風に言えば「帝大出の長男、私大出の次男」といった感じです。兄のヨーゼフは、ド真面目な理想主義者で、皇帝に登位するやいなやゴリ押しの改革を打ち出してはその度に失敗しました。現場の検証をやっていないんですね。また、母の宿敵であるプロイセン王国のフリードリッヒ大王にあこがれて、どうしても会いたいと母に懇願。女帝は下げたくもない頭を下げて「(言えた義理じゃありませんが)どうか、うちの子に会ってやってください」とサンスーシ宮殿に住む大王に恥を忍んで手紙を書いたりしています。


この頃フリードリッヒ大王は軍神扱いされていて、当時の貴公子の憧れの的でした。ちなみに今上のロシア皇帝ピョートル三世も大王の熱烈なファンです。

どこか秀才風をふかせるヤなやつの側面がある長男ヨーゼフに比べて、次男のレオポルトは次期皇帝のプレッシャーがないからか、のんびりしています。親父(フランツ・ステファン皇帝)から引き継いだトスカナ大公国では名君レオポル一世として、名を残しています。ちなみに親父のフランツ・ステファンはマリア・テレジアとの婚姻の際、フランスとの交渉で母国ロレーヌ公国をポーランド王に割譲しました。で、その代替として得たのがトスカナ大公国でした。首都はフィレンツェです。近代の濫觴(らんしょう/始まり)たるルネッサンスが始まった都市として有名ですが、逆に言えばそれだけやかましい側面があるんです。この難治なフィレンツェをきっちりと治めたばかりか、蓄財や農場経営の才能までみせるのだから、この入り婿皇帝フランツ・ステファンはたいしたものです。表向き(政治)は女房のマリア・テレジアが秀でているので完全にお任せです。入り婿というのは、マスオさんにしろ、中村主水にせよ、針のむしろでつらいものがあります。神聖ローマ皇帝はフランス王と同じく、フランク王国の後継君主ですからサリカ法で男系男子必須なんです。ですので、マリア・テレジアは皇帝にはなれないんです。旦那のフランツ・ステファンが、皇帝フランツ一世として即位します。「女帝」というのはあくまで通称で、正確には「ハンガリー女王」が君主としての肩書きです。
フランツと女帝は恋愛結婚です。王族で恋愛結婚は珍しく、このカップルの他はスペインのカトリック両王(イザベル女王&フェルナンド王)くらいですね。ほかの王族なり貴族なりは、オール政略結婚です。あのルイ十四世なんか、マザラン枢機卿の姪だったマリー・マンチーニに本気で惚れていましたが、スペインとの友好のため泣く泣く別れました。若いころのルイ十四世はちょっと自閉症気味で、日本の家光将軍とどこか似ています。彼の心に寄り添って傾聴したのが、マリー・マンチーニ嬢でした。

要するに、
恋愛結婚なんて夢のまた夢だったんです。フランツ・ステファンとマリア・テレジアはそれを成就させた!
つまり、泣く泣く政略結婚した貴族夫婦たちにしてみれば、存在自体がムカつくんです。女帝は一生懸命に政務に取り組んで汗を流しているから誰も責めないんです。白い目は入り婿の
フランツ・ステファンに自然に向かいます。
ウィーンに居るのはつらいので、フランツ・ステファンは自領のトスカナでヘソクリ蓄財にはげむというわけです。このあたり中村主水介玉五郎(なかむら・もんどの
すけ・たまごろう/「必殺仕事人IV」第43話より)に似ていますね。

そういう親父の生き様を横でじっと見ていたのがレオポルトです。母親の愛情は兄ヨーゼフと、四女姉さんのミミ(マリア・クリスティーナ)が独占していますから、彼の居場所はないんです。このミミという姉貴がまたイヤなヤツなんです。いろんな特技があってそのぶん母親の女帝に取り入るのがうまく、兄弟姉妹のイロイロをぜんぶ女帝にチクるんです。よって兄弟姉妹から総スカンですが、決定的なのが女帝におねだりして恋愛結婚をやってしまった。ですからもう、人間関係が最悪なんです。
ミミの恋愛結婚に反対していたのは父親でした。旦那となる男の気持ちを察したんですね・・・。そんなやさしい親父の背中が
レオポルトの目標だったのかもしれません。ウィーンの宮廷でこそバカにされていますが、この次男坊にとっては、とても大きな背中だったととっきぃは拝察致します。背中で教える父親といえば、「特捜最前線」の橘警部と、「ねぎぼうずのあさたろう」のながきちさんですね。

「ながきち あさたろう」の画像検索結果

レオポルトは父親の崩御に伴い、トスカナを襲封します。
父フランツ・ステファンと同じく統治と、女遊びに人生を見出します。
そんな陽気な
レオポルトのパートナーが、マリア・ルドヴィカ皇后です。スペインからお輿入れしました。スペイン出身ですから真面目で忍耐強いです。女遊びにも割りと寛容です(少なくとも人前では)。ルイ十四世のマリー・テレーズ王妃(スペイン出身)もそうでした。女性がおおらかだと、なぜか男は成長するんです。人類の七不思議といってもいいのではないでしょうか。
そして
マリア・ルドヴィカ皇后は、顔がすごい。
「顔でかい、鼻でかい、口でかい」とみごとにAGEMAN人相です。

AGEMAN人相についてはmzさんのが的を得て面白いです。お薦めです。

そしてなぜか、男は古今東西、その逆(小顔・かわいい鼻・おちょぼ口)を女性の容姿に求める傾向があります。
事実、兄ヨーゼフの奥様は大変な美人で、弟夫婦と並ぶ度に兄は優越感に浸っていたようです。この美人嫁は流行り病でポックリと逝ってしまい、秀才兄貴は
かなりの落ち込みだったみたいです。
美人や床上手はSAGEMANと相場は決まっています。二番目の嫂(兄嫁)は肖像画では顎のとんがった美形ですが、実際は小柄でふくよかな女性だったようです。ところが見た目重視のボンボン兄貴はこの後添えを「チビ!、ブス!、デブ!」と切り捨てて省みませんでした。ま、それだけの器です。母親の没後は単独で、一生懸命に国政改革をやるんですが、前述の通り二進も三進もいきません。当たり前です。女性を粗末にする男に国民がついてくるはずがないんです。「大衆は女だ」は『我が闘争』の名言です。

その逆をいったのが例の次男坊!
いかにも18世紀らしく、女遊びから女性の美質を学び取っていた
レオポルトの勝ちです。トスカナの領地経営はトントン拍子にうまくいきます。あのダンテが辟易した、やかましいフィレンツェ市民からすら名君扱いされたのです。ぜんぶ「顔でかい、鼻でかい、口でかい」マリア・ルドヴィカ妃の陰徳です。レオポルド大公が、はでな女遊びの中で一番大事にした女性はもちろん、マリア・ルドヴィカ妃です。秀吉&北政所夫婦と相似形です。

1790年、
陰険だった兄ヨーゼフ二世の急逝で
次男坊はウィーンに上洛。宗家を継いで神聖ローマ皇帝レオポルト二世を名乗ります。陽気なトスカナとはまったくちがう環境で、さしもの名君も気が滅入ったのかもしれません。親父の苦労した様子がフラッシュバックしたのかもしれません。体調を崩します。さすがに皇后のAGEMAN効果もやや限界にきたのかもしれません。
皇帝に登位してわずか2年で皇帝
レオポルト二世は崩御しました。奥方のマリア・ルドヴィカ皇后も後を追うように急逝します。皇位は嫡男のフランツ・ヨーゼフ・カールが継承しました。
その後、ナポレオンの台頭で欧州はシッチャカメッチャカになりますが、
そういう場に居合わせずにすんだこと自体が最大のAGEMAN効果だったのかもしれないですね。

ルックス重視のヨーゼフ二世と、内面重視のレオポルト二世、同じ兄弟でも対照的な結果を残しました。
緑の上着がトレードマークの兄ヨーゼフに対して、弟
レオポルトは白の上着です。

顔でかい、鼻でかい、口でかい」女性は国の宝です。
世の男性はもっと女性をよく観察しましょう。
ヨーゼフ皇帝みたいに「出まわり物件(婚活用語)」に執着するようでは、人生痴れています。
そして、
男の値打ちとは何か、女性の方々も考えてほしいものです。
レオポルト帝の目標だった父フランツ・ステファンの大きな背中に、広い心、あったかい何かを感じませんか。

母のマリア・テレジア女帝は宝石番長としても有名でけっこうな浪費家なんです(戦争で台所は火の車!・・・なのに)。でも父のフランツ・ステファンは、懸命に政治仕事をして子供も産む恋女房を生涯大事にしました。この”理想の”旦那が亡くなった時にはさすがの女帝もショックで、人生最後の日まで喪服をお召になったそうです。
攻守どころは変わりますが、オシドリ夫婦ぶりは次男夫婦が継ぎました。
レオポルト二世マリア・ルドヴィカ皇后公私共に幸福な夫婦でした。

マスオさん 首筋の美しいひとが、ひっそり、悩んでいた。

こんにちは。
歴史家とっきぃです。改訂記事です。

歴史を学ぶということは、自分自身の生き方を鑑みることです。
応用編として、人体の構造を歴史事跡に当てはめると面白い。
例えば、内臓は大脳なんかより歴史(発生)がずっと古いです。

特に腸管(ちょうかん/小腸・大腸)は人間の脳組織にとって最大の外様大名と云えます。上端に腹腔神経叢、前衛にヘソ(臍/キャノピーかつ外部との直接受信機)、下端に臍下丹田(せいか・たんでん)と総構えで情報センターを布陣しています。そして総血液量の半分を湛(たた)えている鉄壁の要塞でもあるんです。内蔵同士はホルモンで情報をやり取りをしています。ちなみに頭部の血液量は全体の四分の一です。大脳が徳川幕府ならば、腸管は島津家や伊達家など、鎌倉幕府つまり天下草創(原生動物発祥)以来の名家に相当します。

とまぁ、歴史の応用は面白くてやめられません。

というわけで、今回は陽気でお気楽な次男と、あげまん女房のお話です。本邦にも頼朝夫人(政子さん)、光秀夫人(煕子さん)、秀吉夫人(北政所さん)とか、あげまん女房はいます。

今回採り上げるのは、珍しい欧州のアゲマン皇后のお話です。

今回記事にするのは、ベルばら記事でおなじみマリー・アントワネットの次兄、神聖ローマ帝国皇帝レオポルト二世と奥方様のマリア・ルドヴィカ皇后です。
Mengs, Anton Raphael - Pietro Leopoldo d'Asburgo Lorena, granduca di Toscana - 1770 - Prado.jpg

レオポルト二世の父親はフランツ一世ステファン皇帝、母親はかの「女帝」マリア・テレジアです。レオポルトは次男。生真面目なハプスブルク家にしては珍しい陽気な性格です。
戦前の日本風に言えば「帝大出の長男、私大出の次男」といった感じです。兄のヨーゼフは、ド真面目な理想主義者で、皇帝に登位するやいなやゴリ押しの改革を打ち出してはその度に失敗しました。現場の検証をやっていないんですね。また、母の宿敵であるプロイセン王国のフリードリッヒ大王にあこがれて、どうしても会いたいと母に懇願。女帝は下げたくもない頭を下げて「(言えた義理じゃありませんが)どうか、うちの子に会ってやってください」とサンスーシ宮殿に住む大王に恥を忍んで手紙を書いたりしています。


この頃フリードリッヒ大王は軍神扱いされていて、当時の貴公子の憧れの的でした。ちなみに今上のロシア皇帝ピョートル三世も大王の熱烈なファンです。

どこか秀才風をふかせるヤなやつの側面がある長男ヨーゼフに比べて、次男のレオポルトは次期皇帝のプレッシャーがないからか、のんびりしています。親父(フランツ・ステファン皇帝)から引き継いだトスカナ大公国では名君レオポル一世として、名を残しています。ちなみに親父のフランツ・ステファンはマリア・テレジアとの婚姻の際、フランスとの交渉で母国ロレーヌ公国をポーランド王に割譲しました。で、その代替として得たのがトスカナ大公国でした。首都はフィレンツェです。近代の濫觴(らんしょう/始まり)たるルネッサンスが始まった都市として有名ですが、逆に言えばそれだけやかましい側面があるんです。この難治なフィレンツェをきっちりと治めたばかりか、蓄財や農場経営の才能までみせるのだから、この入り婿皇帝フランツ・ステファンはたいしたものです。表向き(政治)は女房のマリア・テレジアが秀でているので完全にお任せです。入り婿というのは、マスオさんにしろ、中村主水にせよ、針のむしろでつらいものがあります。神聖ローマ皇帝はフランス王と同じく、フランク王国の後継君主ですからサリカ法で男系男子必須なんです。ですので、マリア・テレジアは皇帝にはなれないんです。旦那のフランツ・ステファンが、皇帝フランツ一世として即位します。「女帝」というのはあくまで通称で、正確には「ハンガリー女王」が君主としての肩書きです。
フランツと女帝は恋愛結婚です。王族で恋愛結婚は珍しく、このカップルの他はスペインのカトリック両王(イザベル女王&フェルナンド王)くらいですね。ほかの王族なり貴族なりは、オール政略結婚です。あのルイ十四世なんか、マザラン枢機卿の姪だったマリー・マンチーニに本気で惚れていましたが、スペインとの友好のため泣く泣く別れました。若いころのルイ十四世はちょっと自閉症気味で、日本の家光将軍とどこか似ています。彼の心に寄り添って傾聴したのが、マリー・マンチーニ嬢でした。

要するに、
恋愛結婚なんて夢のまた夢だったんです。フランツ・ステファンとマリア・テレジアはそれを成就させた!
つまり、泣く泣く政略結婚した貴族夫婦たちにしてみれば、存在自体がムカつくんです。女帝は一生懸命に政務に取り組んで汗を流しているから誰も責めないんです。白い目は入り婿の
フランツ・ステファンに自然に向かいます。
ウィーンに居るのはつらいので、フランツ・ステファンは自領のトスカナでヘソクリ蓄財にはげむというわけです。このあたり中村主水介玉五郎(なかむら・もんどの
すけ・たまごろう/「必殺仕事人IV」第43話より)に似ていますね。

そういう親父の生き様を横でじっと見ていたのがレオポルトです。母親の愛情は兄ヨーゼフと、四女姉さんのミミ(マリア・クリスティーナ)が独占していますから、彼の居場所はないんです。このミミという姉貴がまたイヤなヤツなんです。いろんな特技があってそのぶん母親の女帝に取り入るのがうまく、兄弟姉妹のイロイロをぜんぶ女帝にチクるんです。よって兄弟姉妹から総スカンですが、決定的なのが女帝におねだりして恋愛結婚をやってしまった。ですからもう、人間関係が最悪なんです。
ミミの恋愛結婚に反対していたのは父親でした。旦那となる男の気持ちを察したんですね・・・。そんなやさしい親父の背中が
レオポルトの目標だったのかもしれません。ウィーンの宮廷でこそバカにされていますが、この次男坊にとっては、とても大きな背中だったととっきぃは拝察致します。背中で教える父親といえば、「特捜最前線」の橘警部と、「ねぎぼうずのあさたろう」のながきちさんですね。

「ながきち あさたろう」の画像検索結果

レオポルトは父親の崩御に伴い、トスカナを襲封します。
父フランツ・ステファンと同じく統治と、女遊びに人生を見出します。
そんな陽気な
レオポルトのパートナーが、マリア・ルドヴィカ皇后です。スペインからお輿入れしました。スペイン出身ですから真面目で忍耐強いです。女遊びにも割りと寛容です(少なくとも人前では)。ルイ十四世のマリー・テレーズ王妃(スペイン出身)もそうでした。女性がおおらかだと、なぜか男は成長するんです。人類の七不思議といってもいいのではないでしょうか。
そして
マリア・ルドヴィカ皇后は、顔がすごい。
「顔でかい、鼻でかい、口でかい」とみごとにAGEMAN人相です。

AGEMAN人相についてはmzさんのが的を得て面白いです。お薦めです。

そしてなぜか、男は古今東西、その逆(小顔・かわいい鼻・おちょぼ口)を女性の容姿に求める傾向があります。
事実、兄ヨーゼフの奥様は大変な美人で、弟夫婦と並ぶ度に兄は優越感に浸っていたようです。この美人嫁は流行り病でポックリと逝ってしまい、秀才兄貴は
かなりの落ち込みだったみたいです。
美人や床上手はSAGEMANと相場は決まっています。二番目の嫂(兄嫁)は肖像画では顎のとんがった美形ですが、実際は小柄でふくよかな女性だったようです。ところが見た目重視のボンボン兄貴はこの後添えを「チビ!、ブス!、デブ!」と切り捨てて省みませんでした。ま、それだけの器です。母親の没後は単独で、一生懸命に国政改革をやるんですが、前述の通り二進も三進もいきません。当たり前です。女性を粗末にする男に国民がついてくるはずがないんです。「大衆は女だ」は『我が闘争』の名言です。

その逆をいったのが例の次男坊!
いかにも18世紀らしく、女遊びから女性の美質を学び取っていた
レオポルトの勝ちです。トスカナの領地経営はトントン拍子にうまくいきます。あのダンテが辟易した、やかましいフィレンツェ市民からすら名君扱いされたのです。ぜんぶ「顔でかい、鼻でかい、口でかい」マリア・ルドヴィカ妃の陰徳です。レオポルド大公が、はでな女遊びの中で一番大事にした女性はもちろん、マリア・ルドヴィカ妃です。秀吉&北政所夫婦と相似形です。

1790年、
陰険だった兄ヨーゼフ二世の急逝で
次男坊はウィーンに上洛。宗家を継いで神聖ローマ皇帝レオポルト二世を名乗ります。陽気なトスカナとはまったくちがう環境で、さしもの名君も気が滅入ったのかもしれません。親父の苦労した様子がフラッシュバックしたのかもしれません。体調を崩します。さすがに皇后のAGEMAN効果もやや限界にきたのかもしれません。
皇帝に登位してわずか2年で皇帝
レオポルト二世は崩御しました。奥方のマリア・ルドヴィカ皇后も後を追うように急逝します。皇位は嫡男のフランツ・ヨーゼフ・カールが継承しました。
その後、ナポレオンの台頭で欧州はシッチャカメッチャカになりますが、
そういう場に居合わせずにすんだこと自体が最大のAGEMAN効果だったのかもしれないですね。

ルックス重視のヨーゼフ二世と、内面重視のレオポルト二世、同じ兄弟でも対照的な結果を残しました。
緑の上着がトレードマークの兄ヨーゼフに対して、弟
レオポルトは白の上着です。

顔でかい、鼻でかい、口でかい」女性は国の宝です。
世の男性はもっと女性をよく観察しましょう。
ヨーゼフ皇帝みたいに「出まわり物件(婚活用語)」に執着するようでは、人生痴れています。
そして、
男の値打ちとは何か、女性の方々も考えてほしいものです。
レオポルト帝の目標だった父フランツ・ステファンの大きな背中に、広い心、あったかい何かを感じませんか。

母のマリア・テレジア女帝は宝石番長としても有名でけっこうな浪費家なんです(戦争で台所は火の車!・・・なのに)。でも父のフランツ・ステファンは、懸命に政治仕事をして子供も産む恋女房を生涯大事にしました。この”理想の”旦那が亡くなった時にはさすがの女帝もショックで、人生最後の日まで喪服をお召になったそうです。
攻守どころは変わりますが、オシドリ夫婦ぶりは次男夫婦が継ぎました。
レオポルト二世マリア・ルドヴィカ皇后公私共に幸福な夫婦でした。


マスオさん 関連ツイート

@masuotv マスオさん!おはようございます🌞
今日もゆる〜く行きます😊
RT @BOHE_BABE: KPIがダッシュボードに可視化されてる商社に勤めるマスオさん辛いねって家族と話してる。 https://t.co/RXUAxWKdg9
マスオさん的びっくりリアクション
あんぱんまん懐かしいО'̑〇̮'̑О

『新しい顔よ〜!!』
よー考えたら、怖い怖い🥶🥶

ジャムおじさんってマスオさんなん?笑

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