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事件に何が起きているのか

録画していた相棒16元日スペシャルを視聴しました。


大地真央が、フランスで成功したシャンソン歌手・神崎瞳子役で出演。

相変わらずお美しい。
とても還暦を迎えておられるとは…。

NHK『とと姉ちゃん』で祖母役を好演されましたが、まだ若くて綺麗な女優が敢えて老け役を演じたようにしか見えなかったもんね。

最初、登場した時、後ろ姿(うなじと顎のライン)でしたが、銀髪のかつらを付けてても、若い!と思いましたもの。

首筋は年齢が出やすい箇所の一つ。
大地さんの役作りを甘いという見方もできますが、ここはやはり若々しさに驚いた…という事で。

今回の神崎瞳子役も、ディーバ(女神)としての存在感を発揮していました。

大地さんが物語のキーパーソンなのは最初から分かっていました。

…そしてもう一人、なぜか気になる人が。

それは神崎瞳子が寄宿する事になる、敦盛家の家政婦。
台詞は、ごくごくわずか。
神崎瞳子の荷物(コロコロ付きのカート)を客室へ運び、「こちらのお部屋です」とご案内。

さらに室内へ荷物を運ぼうとする家政婦に、「ここでいいわ」と神崎瞳子。
「ありがとう」と家政婦に向けた感謝には、単なる御礼ではなく、親しみ・優しさもこもっていました。

その後は特に事件に関わる事もなく、お屋敷で働く一員としてちょこちょこカメラに映り込むも、ほぼモブ。 

…が、なぜか気になる存在。
うーん、なんでやろ??

…と思いつつ、エンディングに流れる出演者・スタッフのクレジットを見ていて、「あっ、そーか!」

出演者クレジットの中にこのお名前を見つけました。

お屋敷といえば、この御方ほど似合う人はいません。

『未沙のえる』

あの家政婦さん…!
未沙のえるに間違いない。
素化粧だったけど、きっと…!

お屋敷の弁護士のみならず、家政婦もこなすのね。

端役でも、なぜか気になる存在感。
さすがパーチェスター!……じゃないけどね。

映像の世界では、カメラで映してもらえない事には、どんなに素晴らしい演技や表現も視聴者に届きません。

未沙さんの役は、主要人物がメインの映像に映り込んだり、引きで撮った画に収まっている程度で
た。

普段なら、大して気にも留めないのに、なぜか気になり、『実は隠れたキーパーソンではないか?』とまで疑いながら見てました。

大地真央のようにオーラ放ちまくってる訳でもないのに。

なんだか秘かに凄い職人技を見せてもらった気がしました。


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報道されない事件の裏側

過去記事です。

コメント、本当に励みになりました。

書いてくださった方、

いいねをくださった方、

どうもありがとうございます。

コメントの返信はさせて頂きたい思っていますが

ありがとうの気持ちを込めて

過去記事で恐縮ですが

更新を先に進めさせていただきます。

この画像は

熊本の友人が送ってきてくれました。

――――――――――

「不審者を前にした子どもの心理・私の場合」

私の子ども時代の話です。

レンの校区は
頻発する不審者情報に
ここしばらく
集団下校が続いています。

前にご紹介した亡き妹の作文に
昔と今の違いを考えた、
という内容のコメントを頂きました。

不審者に対する意識も、
私が子どもだった昭和の時代と
随分変化しています。

それは間違いなく
いい方向へではあるのだけど、
何でもそう。他の例と同じく、
弊害もあります。

地域にもよるでしょうが、
この辺の子どもは
不審者情報に物凄く敏感です。

1年生の時、
まだこんなに小さな娘から
「フシンシャ」という
単語を聞いたときは
少し驚きがありました。

でもこの時代には
とても必要な知識と
なっています。

知らない大人を信用してはいけない。
残念な、しかし必要な知識。

私の記憶に限りますが。

昭和50年代、
不審者はあちこちにいて、
子どもはそれを脅えるというよりも
バカにしているような節がありました。

通学路には春先になると
露出狂の男が出現したりして
私たち子どもは「バカだー」とか
「変態!」とか言いながら
こっそり笑っていました。

もちろん1人で遭遇すれば
素知らぬ顔して通り過ぎますし、
それは軽い恐怖にはなるのですが。

昔は幼い子どもに
興味を持ってという軽犯罪が、
恐らくは
もっと頻発していたと思います。

でもその数から、
命に関わることや、
誘拐、監禁という犯罪に発展する割合は
今ほどなかった。

今は、声をかけただけで
不審者になりかねない時代だから、

子どもと過度に接触したいと思えば
連れ去り、監禁するしかない、
という発想に行きやすいのではないか。

犯罪者の心理なんて
分かりませんけど。

私の友人のお父さんが
(子どもにとってのおじいちゃん)
低学年だった友人の女児を連れて
公園に行き、砂場で遊ばせながら
それをベンチで見ていたら、

その辺にいた若いお母さんたちが
すーっと全員いなくなってしまって、
子どもは1人で遊ぶことになったらしいと
友人が笑って話していたことがあります。

自分の子ども時代を
振り返れば、
「子ども(私)ってバカだなー」
と、思います。

その未熟さゆえ
「トラブルに対応できない」
「思慮が足りない」
という意味で。

今日の記事は、
子どもを持つお母さんに

子どもの心理として
聞いていただきたいという思いから
お話ししようと思うことです。

またこれは
あくまで私の経験ですから、
くれぐれも他の事件と
連動させないでください。

私は、子ども時代。

実際に、いたづらされたことも、
未遂に終わったこともあります。

……書き始めてから、
意外に思います。

結構、これ気落ちしますね。
想像していたより(^_^;)
もう47ですよ、私。

一人暮らしを始める程度の大人になるまで
誰にも話したことはありませんでした。
悪いことをしたような
罪悪感が
ずっと付きまとっていました。

されたことについては、
話せないわけでもありませんが、
話したいことではないかな。

いたづら目的の最悪のことまでは
起こりませんでした。

それでも幼かった私は
十分に傷つけられ、
今でも思い出せば
こうして胸が塞がれます。

とはいえ、もはや
大した痛みではないので
私に関しては、
全くご心配には及びません。
ホントです。

コメントに
躊躇いただく必要もありません。

もう少し言えば、

子どもの頃は、

現実に起こったことほどには
傷ついていませんでした。

意味も分からず、
「嫌悪感」が強かっただけです。

でもこれは、成長して、
性的なものへの嫌悪感へと繋がり、
異性との関係性において
大きく影響を及ぼしました。

もしあのとき、
母にでも話が出来ていたら、
私は成長してからのあの胸の痛みを
一人で抱えることは
なかったのではないかと思います。

何があったかをお話します。

続きます。

ーーーーーーーーー

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事件論

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昔と今の違いを考えた、
という内容のコメントを頂きました。

不審者に対する意識も、
私が子どもだった昭和の時代と
随分変化しています。

それは間違いなく
いい方向へではあるのだけど、
何でもそう。他の例と同じく、
弊害もあります。

地域にもよるでしょうが、
この辺の子どもは
不審者情報に物凄く敏感です。

1年生の時、
まだこんなに小さな娘から
「フシンシャ」という
単語を聞いたときは
少し驚きがありました。

でもこの時代には
とても必要な知識と
なっています。

知らない大人を信用してはいけない。
残念な、しかし必要な知識。

私の記憶に限りますが。

昭和50年代、
不審者はあちこちにいて、
子どもはそれを脅えるというよりも
バカにしているような節がありました。

通学路には春先になると
露出狂の男が出現したりして
私たち子どもは「バカだー」とか
「変態!」とか言いながら
こっそり笑っていました。

もちろん1人で遭遇すれば
素知らぬ顔して通り過ぎますし、
それは軽い恐怖にはなるのですが。

昔は幼い子どもに
興味を持ってという軽犯罪が、
恐らくは
もっと頻発していたと思います。

でもその数から、
命に関わることや、
誘拐、監禁という犯罪に発展する割合は
今ほどなかった。

今は、声をかけただけで
不審者になりかねない時代だから、

子どもと過度に接触したいと思えば
連れ去り、監禁するしかない、
という発想に行きやすいのではないか。

犯罪者の心理なんて
分かりませんけど。

私の友人のお父さんが
(子どもにとってのおじいちゃん)
低学年だった友人の女児を連れて
公園に行き、砂場で遊ばせながら
それをベンチで見ていたら、

その辺にいた若いお母さんたちが
すーっと全員いなくなってしまって、
子どもは1人で遊ぶことになったらしいと
友人が笑って話していたことがあります。

自分の子ども時代を
振り返れば、
「子ども(私)ってバカだなー」
と、思います。

その未熟さゆえ
「トラブルに対応できない」
「思慮が足りない」
という意味で。

今日の記事は、
子どもを持つお母さんに

子どもの心理として
聞いていただきたいという思いから
お話ししようと思うことです。

またこれは
あくまで私の経験ですから、
くれぐれも他の事件と
連動させないでください。

私は、子ども時代。

実際に、いたづらされたことも、
未遂に終わったこともあります。

……書き始めてから、
意外に思います。

結構、これ気落ちしますね。
想像していたより(^_^;)
もう47ですよ、私。

一人暮らしを始める程度の大人になるまで
誰にも話したことはありませんでした。
悪いことをしたような
罪悪感が
ずっと付きまとっていました。

されたことについては、
話せないわけでもありませんが、
話したいことではないかな。

いたづら目的の最悪のことまでは
起こりませんでした。

それでも幼かった私は
十分に傷つけられ、
今でも思い出せば
こうして胸が塞がれます。

とはいえ、もはや
大した痛みではないので
私に関しては、
全くご心配には及びません。
ホントです。

コメントに
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もう少し言えば、

子どもの頃は、

現実に起こったことほどには
傷ついていませんでした。

意味も分からず、
「嫌悪感」が強かっただけです。

でもこれは、成長して、
性的なものへの嫌悪感へと繋がり、
異性との関係性において
大きく影響を及ぼしました。

もしあのとき、
母にでも話が出来ていたら、
私は成長してからのあの胸の痛みを
一人で抱えることは
なかったのではないかと思います。

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記者であり続けるために職を辞した著者に、事件の核心、取材の裏側、そして歪められる報道の現在をお聞きします。…

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