負け方を知らずに僕らは育った
みなさんこんばんわ
こめたんは中畑清さんが初恋の人だけど、中畑さんよりかなり長く応援してきた選手が居るのであります
27年間、恋い焦がれずっと・ずっと・ずっと応援していたのが山崎武司さん
キャッチャー時代から大好きなの
盗塁は全くと言っていいほど刺せなかったけどね
イーグルスを応援するきっかけは武司さんが移籍したから
今でも大好きなリアルジャイアンです
モバイルニュース引用
そんな武司さんが先日、お亡くなりになられた星野監督との事を回想している記事がありました
中日のエースとして鳴らした星野仙一氏が4日に膵臓がんのため70歳で死去した。
現役引退後の中日、阪神、楽天監督時代は“鉄拳制裁”が代名詞で、選手に手を上げることもあったが、肉親さながらの愛情、情熱に裏打ちされ、人生の恩師と慕う教え子が多い。
縁の深いまな弟子、担当記者らが、その実像を明かす。
まずは中日、楽天で星野監督の下で主砲を務めた、山崎武司氏(49)が闘将の厳しい指導とビンタを振り返る。
「おい、春のキャンプまでに20キロやせてこい。そうでなければユニホームを着させんぞ」
星野監督にこんなむちゃなノルマを課されたのは、“中日第2次政権”スタート直後の1995年11月末、秋季キャンプ終了時だった。
翌年2月の春季キャンプ開始までわずか2カ月。
「無理に決まっとるわい」と思ったが、「おれは本気だからな!」と念を押されてしまった。
さあ大変だ。
当時僕の体重は110キロ。食事では炭水化物を一切とらず、おかずをちょろっと食べるだけで腹3分目。
エアロバイクをこぎ、サウナに入り、ボクサーのような生活を送った。
体力が落ち、2カ月間に3度風邪をひいて熱を出したが、3度目は風邪をひけば自然に体重が落ちると思って、わざと引いたようなものだった。
結局ノルマを上回る22キロ減の88キロでキャンプインを迎えた。
頬がこけて、周囲から「病気じゃないのか」といわれたよ。
しかし、無茶をやらされたと思ったこの年、僕は39本塁打を放ち、初タイトル(本塁打王)を獲得したのだから、効果はてきめんだった。
もともと、前年に初めて2ケタ本塁打(16本)をマークし手応えをつかみかけていたが、同時に何かが足りないと感じていた。
39本も打てるとは想像もしていなくて、当時の背番号22と同じ本数を打てたらいいな、という程度だった。
いま思えば、星野監督に背中を押してもらったおかげ。
プロの厳しさを教えていただいた。
決して厳しさ一辺倒ではなかった。
実はこの年、僕は公式戦開幕直前の3月下旬に脇腹を痛め、どうにもこうにもバットを振れなくなった。
意を決して、ナゴヤ球場での練習日にオープン戦の九州遠征回避を申し出た。
大目玉を食らうかと思いきや、「おまえが痛いと言ってくるくらいだから、よほどのことなんだろう」と承諾してくれた。
「おれ、干されるのかな」とも思ったが、それから1週間練習もせずに休養に努め、滑り込みで開幕に間に合った。
よく選手を観察してくれていたと思う。
もちろん手を上げられたこともある。
僕のプロ1年目は、星野監督の中日第1次政権(1987-91年)の初年度にあたるが、残念ながら2軍にいることが多く接点は少なかった。
ただ、秋だったと思うのだが、台湾に遠征して代表チームと親善試合を行ったことがあった。
僕は本塁打を放ったが、最後に逆転満塁サヨナラ本塁打を食らって敗れた。
当時僕は捕手。
星野監督は
負け方がよほど気に入らなかったのか、同じ捕手で2歳上の中村武志さんと僕の2人がチームを代表する形でビンタされたのを覚えている。
オープン戦だろうと親善試合だろうと、負けは負け、ダメなものはダメと徹底していた。
ただ、当時の選手はみんな、口には出さなくても内心では「活躍して、このオッサンを見返したる」と考えていた。
そういう反骨精神がなければ、星野監督のチームでレギュラーとして生き残ることはできなかった。
監督自身、イエスマンなんて大嫌い。
「ぶつかって来い」と考えていたと思う。
「星野さんに歯向かったのはオレだけかもしれない」
「星野さんとは楽天を退団してから約5年間、顔も合わせなかった。そんな中、2016年10月5日、おふくろが亡くなって、そのときにお花をいただいたんです。お礼を言おうと電話をかけ、5年ぶりに話をしました。第一声は『おう、元気か』と。それまでのことが何もなかったような感じだった」
2011年に星野監督が楽天の指揮官に就任。
2人は中日時代以来、再び同じユニホームに袖を通すことになったが、その年のシーズン終盤のことだった
星野監督は山崎氏に現役引退とコーチ就任を要請。
山崎氏がこれを固辞して退団すると、星野監督から公然と批判されるなど、確執が表面化していた。
昨年2月、楽天のキャンプ地、沖縄県金武のグラウンドで星野氏と再会。
雑談に花を咲かせた。
「最後に話したのは、昨年6月、ナゴヤドームの楽天対中日戦。『おまえがちゃんと後輩をしっかり見て、指導をしていかないといかんぞ』という言葉をいただいた。(昨年11、12月の)殿堂入りパーティーも行きたかったけど、どちらも予定が合わず、結果的にそれが最後になってしまいました」
計11年間の師弟関係がこじれ、雪解けに5年を費やしてしまったが、山崎氏はこう言う。
「もう恨みつらみはない。悔やむのは、自分の思いが正しく伝わらなかったこと。監督と選手なので、自分の主張が全部通るとは思っていないけど、もう少しお互いに歩み寄れたら……。オレは生意気だったから。だからこそプロの世界で長くやってこられた部分もあるけど、お互い真正面からぶつかりすぎた。今思えば、選手で星野さんに歯向かったのはオレだけかもしれない(笑い)。チームが強くなるためには星野さんが前面に出した“恐怖感”は絶対に必要。雰囲気やオーラ、グラウンドで選手を見渡したときのピリッとした空気はすごい。仲良し球団じゃ日本一になれないことを教えてくれた。自分が指導者になったら、星野さんの指導方法を大いに参考にしたい」
星野監督の教え子の中で、「引退しろ」といわれて辞めなかったのは僕だけ。
勝手ながら、星野監督も内心理解してくださっていたのではないかと思う。
本当にお世話になりました。
モバイルニュース引用
こめたんも武司さんが切られた時に星野さんを心の底から恨んだ、直人だけじゃなく武司さんまでってね
当時は野村監督の愛弟子切りだと思っていたもん
武司さんがもう恨みつらみがないなら、それでいい
表向きの発言ではないと信じてる
山田久志さんとは和解したの?
武司さん
しないかっ・・・・・
なんて記事を読みながらやっと3度目の正直で、さえらでランチでけた
ポテトサラダサンドとエビカツサンド
相変わらず、タルタルソースが旨い
今年もお世話になります
駆り立てるのは野心と欲望、横たわるのは負け方
から一晩明け、今日の朝は二日酔いもあったことから臨時休業にすることを考えました。
とは言っても、週末に入る前に今日行くホールも決めてあったので、せっかくだから行ってみることにしました。
グランパ大久保さんです。
御存知の通り、8の付く日はパパグループの旧イベント日であり、今日はでちゃう!編集部のサトシーニョさんも来店実戦(収録は無し)の予定がありました。
サトシーニョさんのツイートの通り、抽選参加者は500名overとなったようです。
私の引いた番号はこちら。
190番台とスロットは確実に打てる番号です。
流石に主力機種は難しいと判断し、バラエティコーナーの仮面ライダーブラックを確保しました。
ARTのセット数を重ねるごとに1セットあたりのARTゲーム数が増えていくシステムが斬新な仮面ライダーブラックでしたが、とりあえず投資21Kの間に初当たり3回、獲得枚数が150~450枚程度のARTとなりました。
下の写真は最初のARTの終了画面です。
その後、高設定を伺わせる要素がないこと、特に通常時が死ぬほど退屈なことから13時頃この台から撤退しました。
メダル回収は約350枚。
その後はパチスロの稼働が高く、他に打てる台を見つけるのが困難な状態であったため、1階の4円パチンココーナーに移動しました。
最初に打ったまどマギのパチンコは台の感触が良くないので1~2K投資で見切りました。
づづいてダンバイン1/319ver.に空き台があったのでそちらをトライしました。
そのダンバインですが、私がうち始めたとき、データカウンタの回転数はは200回転台の前半を指していました。
このダンバインをひたすら打っていたのですが、900回転近くまで行っても一回もボーナスを引くことができませんでした。
以上、本日の実戦です。
収支: 投資70K 回収約350枚(20円スロット)
流石に700回転近くハマるとは思っていませんでした。
とりあえず投資額が70Kに到達するまでには当たってくれる算段だったのですが、見事に裏切られました。
グランパ大久保さんにはダンバインの1/256ver.もあったので、そちらを選択していたら結果は変わっていたかもしれません。
スロットからのパチンコハマリという、ここ数ヶ月の負けパターンの再現になってしまいました。
進歩しませんね・・・。
本日のグランパ大久保さんですが、正直な感想を言いますと、YouTubeのでちゃう!動画でみたグランパの方が出玉が付いていたと思いました。
今日もGOD系やまどマギ、モンハン月下などにドル箱を複数個積んでいた台が見かけられましたが、全台系的なインパクトには欠けていたと思います。
弱くはないですが、500人overが並ぶにしてはやや物足りなさを感じてしまいました。
このお店については「来店実戦」ではなく「動画収録」の日を狙ったほうがよいかもしれません。
あと、パチンココーナーについては総じて釘のメンテナンスを厳し目にやられているように見受けられました。
パチンココーナーはお客さんの付き方がスロットに比べるとかなり弱かったのですが、そういった釘のメンテナンス方針の部分も大いに影響しているのではないでしょうか。
本日はまたまた不甲斐ない負け方をしてしまいました。
二度とこのような負け方をしないよう、しっかり反省・復習したいと思います。
それでは、明日から月曜日頑張りましょう!