NEXTブレイクは負け方で決まり!!
きっかけは、負け方。
こんにちは、リノです。
急に冷えてきましたね。
先週に衣替えをしようと思ったんですけど、結構暖かかったんで延ばし延ばしにしてたんですが、今日はやらないと凍死する!って思うほど本気で寒いです。
延ばし延ばしにぜずにちゃんとやらないといけないですねー。でも邪魔くさいなあ。。(苦笑)
ではでは、今回は私についてお話させていただきたいと思います。
すごく細かくなるかもしれません。私が自分自身を振り返るためでもあり、もっと深く自分自身の事を理解するためでもあります。
こんな人間なんだとさらけ出すのは恥ずかしいのですが、私がこれからどのように変化していくのか、成長していくのかという所もわかるブログにしていきたいと思っています。今私がどのように思っているのか、私の成長の為のアウトプットの場所としてもお付き合いいただけると嬉しいです。
ではざーっと略歴を。
4人姉妹の長女として産まれる。(若草物語のメグ)
【小学生時代】
4年生の時、ソフトボールを始める。
5年生くらいからチームメイトにいじめられる。
にも関わらずなぜか6年生の時キャプテンをやらされる。
【中学生時代】
チームメイトと同じになるのが嫌で仮入部では吹奏楽部に参加していたが、最終的にはソフトボール部に入る。(理由は覚えていない)
勉強もそこそこ頑張る。
ソフトボールは中学で辞めようと思って周りにも宣言していたが、3年生最後の大会で悔しい負け方をしてしまい、前言撤回、高校でもソフトボールをすることを決意。
【高校生時代】
私立の強豪高校に入学。
とにかく練習漬け。
3年生の時、またもやキャプテンをさせられる。インターハイに出場。ベスト8。国体選手にも選ばれる。
学業はこれまた要領が良く、また高校自体の偏差値はめっちゃ低かったので、3年間学年首位をキープ。そのお陰もあって、大学は推薦での入学が決定。
【大学生時代】
一応ソフトボール部に所属するも、人間関係が合わなさすぎたのと、高校の時に完全燃焼して満足しており、ソフトボール熱も下がっていたのもあって1年生の夏に辞める。
その後バイト三昧。
英語嫌いで「日本人に英語なんぞ必要ない!」と捻くれてたにも関わらず、なぜか海外に住んでみることにはめっちゃ興味があった私。漠然と海外に行ってみたいなーと思っていた中、ちょうど同級生に帰国子女も多く、話を聞いてると益々行きたくなってきて、一生懸命バイトして貯めた資金で1か月間の短期留学に。行き先は最初オーストラリアにしようかなーっと思ってたけど、同級生の一人にカナダ、バンクーバー出身の帰国子女がいて、なんか良さげということでバンクーバーに決定。もう、その1か月間、最高で!!海外にいる私、イエーイっていう楽しさじゃなくて、バンクーバーの環境、雰囲気、その土地が私の心にハマりすぎて、帰国後、親に拝み倒して、大学を休学し1年間の語学留学。
(今もバンクーバーは私の第二の故郷と思っている。)
その時知り合った彼氏(日本人)と帰国後も遠距離恋愛。しかしその後失恋。就職活動中もありメンタルもやられ、激やせ(笑)
なんとか就職先も決まり、無事に大学を卒業。
【20代】
新卒で入社した会社を試用期間中に辞める。
その後すぐに貿易会社に就職する。約2年後、給料遅延が続き退職。
派遣社員として3社ほど勤める。
その間に結婚を前提とした彼氏がいたがまたも破局。精神的にグレる(笑)遊び呆ける。
【30代】
3社目の派遣先の会社で今の主人(精神的な恩人)と知り合う。結婚。
2012年 長男誕生。
2013年 せどりに出会う。師匠はるみさんとも出会う。
2014年 次男誕生。
2017年 四柱推命鑑定師になる。
と、こんな感じです。
振り返ってみて、私自身記憶に残っていること、人生の転機であったり、私が重要だと思う出来事や私の人生に影響を与えたと思う出来事を書きだしてみました。
こうやって書きだし、明らかにするっていいですね。
そうだそうだって懐かしい気持ちもあるけれど、なにより気持ちも頭も整理されます。
私の今までの人生ってこうだったのか!って。
10代の頃はスポーツ一筋ですね。
20代は波乱万丈というか、フラフラしてたなという印象です。
30代は新しい家族ができ、第二の人生が始まるといった感じですね。
※ 2018.6.4 追記
2018年2月より江藤有紀さんが提唱されている「脳トレ」を学んでおり、「自分の人生は自分の思い通りに創れる!」を皆さんにお伝えしていきたいし、皆さんにとっての最高に幸せな人生を創造り上げていくお手伝いをすることを私の活動の理念にしています。