ジレンマを知る!
チンピラトゥギ様は高画質でもチンピラだったというお知らせ←
例のプライベートジェット、予定の日は悪天候で後日本当に飛んだのですね!
このスタンプが一番使ってるかも知れないです↑
渡韓していたブロ友さんからです!
めっちゃ欲しかったやつーーーーーーーーーっ💜😍
キュヒョンさんはピンクって事は覚えてるけど他メンの色は全く覚えてなかったこのキーホルダーですが。
でも紫はウクたんのはず。
出して見ても紫に近いピンクですよね。
例のマスクも頂いちゃいました
手作りかな?可愛いシールと。
これはまさかの
ポップアップカード
センターヒチョル氏♡
もう一度「ジレンマ」の意味を考える時が来たのかもしれない
虐待行為の立証と小さな春の訪れ
(はじめに)
「虐待」。私はこの文字が大嫌いです。またこの言葉の発音「GYAKUTAI」も何か大嫌いです。「虐待」の「虐」は惨い扱いをする。ひどく扱って傷つける等を意味し、「体」はその字のごとく身体の事、つまり「虐待」は人の身体に惨い仕打ちや、ひどく扱って傷やケガをさせると言う意味を表す言葉です。
最近はこの「虐待」と呼ばれる事件が多発しています。特に児童虐待(子供に対する虐待)と高齢者虐待(老人に対する虐待)が余りにも酷すぎるぐらい増えています。
これってよく考えてみると全て弱い者いじめなんです。自分より弱い者、つまり暴行や酷い苦痛を与えても無抵抗、もしくは反抗の言葉さへ言えない弱い者に徹底的にその人格まで破壊するまで攻撃し続ける。通常の人なら決してそんな事はしない。弱い者を助けるのが普通です。でも最近は何故があまりにも多い!それも年々残酷さが増している。
例えば子供の虐待事件で言えば、親が子供に熱いアイロンを押し付けたり、熱湯を顔にかけたり、ゴルフクラブで頭を殴ったり死ぬまで暴力をふるったりする。でも子供は親がそんな事をしても最期まで親に対して「大好き!」と言って死んで行くのです。こんな惨い事ってありますか。息を引き取るまで、こんなに酷い仕打ちを受けて傷だらけや血だらけになっても子供達は「自分が悪い。」と言って死んで行くのです。あまりにも酷すぎる!
私の愛する双子の子供達も元嫁とその家族に「虐待」を受けました。それも約4年半にわたって入れ替わり立ち代わりです。前述した事件までは酷くはないですが、一歩間違えれば同じような事件になっていた可能性があります。でも元嫁やその家族は今だに認めようとしない。証拠があるのに。やった行為を認めない。証拠があるのに子供達に謝らない。裁判所で調査官が「虐待」があった事を事実であると認定までしているのに。「ママだよ!愛しているよ!会いたいよ!」と言ってくる。もうこれは常識を逸脱したキチガイであるとしか言いようがありません。
あなたの周りでもこの様なキチガイがいるかもしれません。「善人の顔をした悪人。」私は改めてこの言葉を深く考える様になりました。
(本文)
子供達との月一回の面会交流の回を重ねるたびに痩せ細り、相手方(元嫁)家に帰りたがらない子供達に、私は元嫁とその家族によって子供達に「虐待」があるのではないかと疑いを持つようになりました。しかし、子供達が言う「手の形をした長いモノ」とは今だ分からず、且つ又それで叩かれたと言っても、彼らの身体を調べてもアザやケガがある訳でもなく、これと言って証拠が掴めませんでした。ましてや子供達の口からも「自分達が悪い。」と言い、それ以上聞いても多くを語らない子供達に私は少々ジレンマを感じていました。何とか立証できないモノかと考えている内に月日は流れ、また普段と変わらない面会交流が行われて行くだけでした。子供達から情報を得ようとしても月一回の面会交流では、中々得られないのが現状です。そして他方の元嫁に対する裁判も平行して始まりました。相手方に付くはあの子供の連れ去り事件から因縁のあるあの女の悪徳弁護士です。私は今度ばかりはやり返してやるぞと調停に臨みました。
月日は流れ調停も順調に進み、悪徳嫁が行った数々の悪事も徐々にですが暴かれて行きました。例えば私の貯めたお金を自分の実家近くにある銀行の自分旧姓の口座と、自分の通勤途上にある数点の銀行に新たに口座を設け、そこに分散して隠している事や、離婚後、私が養育費を振り込んでいた郵便局の子供名義の口座(児童手当が振り込まれていた口座)にも、幾らか隠し財産がある事が判明して行きました。
そんな中、子供達との月一回の面会交流も何度も重ね、経った年間12回しか会えませんが子供達との絆も以前にもまして強く太くなって来ました。そして月日の流れは速いもので数年が経ち、「虐待」の疑いは晴れぬままある年の春を迎え、子供達も某小学校の一年生になっていました。
子供達がどこの小学校に入学したのか、私には元嫁からなんら連絡がありませんので全く分かりません。また非常に残念なんですが本来ならば出席するはずの子供の入学式などにも親として出席も出来ぬままです。後はどこの小学校なのかどの様な状況なのか子供達から聞くしかありません。これも親権を持たない片親の悲しい現実です。でも子供達はそんな私を見かねてか、こちらが聞かなくても自分から喋り出します。「パパ~、〇〇と〇〇は某小学校に入ったねん。そこで色んな友達が出来たねん。滅茶楽しい!そして先生も面白いねん。」と。私はその学校名を聞いて驚きました。「えっ?それって公立じゃなくて私立じゃん!何で近くの公立の小学校へ行けへんかったんや?お前達が住む所の近くに確か(公立の)小学校あったやろ?」と子供らに言うと、子供達にはその意味が分からなないのか、はたまた分かって答えたのか「わからん!」と一言答えました。私は続けます「ほんで、その某小学校って何処にあるの?パパが知る限り遠いんとちゃうのそこ?」と聞くと彼らは頷いて「うん、滅茶遠い!バス乗ってほんで電車に乗り換えて行っている。」と答えました。私は元嫁が何でそんな遠くて学費も高い小学校へ子どもらを通わしたのか、大体その理由が分かりました。それは1)この小学校は進学校でエレベーター式で大学まである。2)自分の会社の通勤途上にあって大変便利。3)学費は高くても私から盗んだお金で十分やっていける。この3点の理由があったのでしょう。これは後日談ですが元嫁はこの某有名私立小学校へ通わした事を自慢し、優越感に浸っていたことが子供達の証言から分かりました。
私は子供達に聞きます。「そんなに遠いところに行って、何時に起きて行くんや?」と。すると「ママに大体朝の4時頃に起こされ、準備や朝ごはん食べたり着替えたりして6時過ぎぐらいにママと出かける。」と言うのです。加えて「何時も学校へ行ったら、僕ら一番や。」と言うのです。私はそれを聞いて「エエ!なんて!朝の4時やて!なんでそんなに早く起こされ、またそんなに早く行くんや!お前ら大丈夫なんか!」。子供は言います。「うん、しんどい。たまに途中でバスや
車気分が悪くなる。ほんで朝ごはんもパン1個とウインナーだけやからお腹が減ってしんどい。」と答えました。私はそれらの事情を聴き、これらが「虐待行為」にあたらないにしてもあまりにも酷すぎると思いました。そして子供達に言いました。「お前ら大変だろうけど、身体だけは大切にするんやで。もししんどかったら学校の先生に言いや。ええか。」と言うと彼らは「うん。」と頷きました。痩せ細り、しんどいと言う子供達を私は心配し気遣いましたが、どうしてやることも出来ません。ただ私はこんな小さな子供達にこの様な行い課す元嫁に非常に腹だたしく思っていました。
そして何時ものように子供達と私の家で遊んでいる時に、それは起こりました。それは偶然にも私がたまたま部屋の掃除中に見つけた「孫の手」を、電話BOXの上にある収納ケースに刺すように置いていた所、双子の弟の〇〇がそれを見つけて叫びました!「パパ!それや!それで〇〇は叩かれたねん!」。私は「エエ!何!これで叩かれたんか!これは孫の手やんか!そうか、確かに手の形をした長いモノや。これやったんか!」とその孫の手を手に取って言いました。すると子供達はまるで紐が解けたように色んな事を喋り出します。双子の長男が言います。「パパ!この間もママにそれで(弟の)〇〇が叩かれた!それも思いっきり!それで自分も何もしてないのにお前も態度が悪いと言ってそれで背中を叩かれた。ほんで怖くて逃げたら逃げるなと言ってまた今度はわき腹を叩かれた!」と言うのです。私は「なに~っ!」と言いました。子供は続けます。「ほんでパパに買ってもらったおもちゃも、お姉ちゃんが(嫁の姉)に取られて、この様にしてやると言って床に叩きつけられて壊されたねん。ほんで腹が立つからこの間自分が持っているデンガッシャー(子供のおもちゃ)で思いっきり(姉の)腕を叩いたってん!ほんならまた仕返しに叩かれたけどアイツも痛がってた。ほんで絆創膏貼ってた。〇〇は叩かれて泣いてたけど気分はすかーッとした!」と言うのです。私はそれを聞いてビックリして「なんで、そんな事あったらパパに言わんかったんや!お前ら今後そんな事あったらパパに言わなあかんで!」と言いました。彼らはその後も色々私にあった事を言いましたが、一部良く分からない事も言うので次回また色々と聞く事を約束して、心配でしたがその日は元嫁の所に帰しました。私は彼らの話を聞いて「虐待」を確信しました。私はその「虐待行為」を立証する為、「証拠」を何としてでも手に入れなければいけません。それも急を要します。しかし良い案が思いつきません。ましてや月一回の面会交流だけでは証拠を得るには中々難しいのが現状です。また子供の証言だけでは立証は弱いと思いました。つまり悪知恵にたけてる元嫁は単なる「しつけ」で、そんな物で叩いてないと言って逃げるに決まってますから。そこをひっくり返すだけの証拠が私には必要だったのです。私は何か良い方法が無いかと来る日も来る日も考えました。
そんな元嫁に対する「虐待」の証拠を得る方法を考えたり、元嫁の犯罪的な嘘を暴く調停での戦いが進んで行ったりで、私の周囲がまたバタバタと騒がしくなりだしたその頃、私にも小さな春が訪れました。それは、とあるきっかけがもとで私はある女性と知り合いました。そして私はその女性と付き合う様になりました。私に取ってはその彼女と会っている時が何故か心が和み、子供の親権が奪われてからの孤独感や閉塞感から解放されて行きました。そしていつしか私と彼女は同棲しやがて結婚する事となりました。結婚と言っても別に大した式を挙げる事もなく、ただ籍を入れただけの簡単なものでしたが、二人して一緒に新しい門出を切り出しました。もちろん彼女には私の現在置かれている境遇は全て話していましたが、それを全て受け止めてくれての結婚でした。そんな小さな幸せが私にもやっと訪れたのです。
彼女との新婚生活が始まっても、別に子供との縁が切れた訳ではありません。月一回の子供達との楽しい面会交流はこれまで通り続き、子供達にも私が結婚したことを伝え、そしてたまには子供達にも彼女を合わせたりして一緒に遊んだりしていました。但し、「虐待」を立証する方法は全く思いつきませんでした。幾ら私に小さな春が訪れても私はそれだけが心の中で焦っていました。どうすれば良いのか。どうすれば良いのかと心で毎日呟いていました。今から考えれば立証するも何も児童相談所に連絡すれば良かったものの、相変わらずバカな私は一人で悩み続けていました。
するとある日、テレビを観ていたらニュースで「児童虐待」の事件の放送が流れました。それは虐待を受けた子供がノートに虐待を受けた日にちをシールを貼っていてそれが決め手となったと言う話でした。
私は思わず「これだ!」と思いました。そして直ぐに行動を起こし私は100円ショップで小さな手帳2冊と、シートになった色違いの小さな丸いシールを数枚購入してきました。後はまた月一回の面会交流を待つだけです。子供達の無事を祈りつつもその月一回の面会交流を待続けました。
日にちは過ぎ待ちに待った月一回の面会交流がやって来ました。私は直ぐさま何時もの待ち合わせの駅前で子供を車に乗せ、子供とよく行くあの何時ものプールにに連れて行き、そこにある休憩室で子供達と話をし始めました。そうして私が「虐待行為」を立証する為に購入した物を子供に渡して説明をしようとしたその時です。子供達の口からはもう異常としか思えない「虐待行為」を聞くことになるのです。
それじゃあまた次回会いましょう!!
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