きらめき★明治
今回から奈良若草山の山焼きの紹介です。
2019年1月26日に見物に行きました。
この若草山の山焼きは典型的な神仏混交
の行事です。若草山(わかくさやま)は、
奈良県奈良市の奈良公園の東端に位置
する標高342m、面積33haの山です。
山焼き前の若草山です。下図②からの撮影です。
ピンクの番号順に歩きました。
最初は歴史から
若草山山頂には古くから知られる鶯塚古墳
(前方後円墳)があり、「鶯山」とも言われます。
また、菅笠のような形の山が三つ重なって見
えることから俗に「三笠山」とも呼ばれます。
山焼きの起源は、鶯塚古墳から出る幽霊が
人々に災いをもたらすという迷信がありまし
た。また、1月頃までに焼かないと災いをも
たらすと言われました。なので通行していた
人が放火していました。再三に渡り、この火
が東大寺境内に迫る事件が起きました。
右上に鶯塚古墳があります。(グーグルより)
1738年12月に、奈良奉行所は若草山に
放火停止の立て札を立てました。しかし、
誰かが放火を続けていました。
隣接寺院への延焼の危険が絶えなかった
ので、江戸時代末期頃には、東大寺・興福寺
と奈良奉行所が先手を取って、立ち会って
山焼きをするようになりました。このために、
東大寺と興福寺が寺領の境界争い防止のた
めにやったという誤解も生まれました。
夜間に行なわれるようになったのは明治時代
後半からです。
なので山焼きの起源は、鶯塚古墳に葬られ
た人の、霊魂を鎮める供養だったようです。
上図①の東大寺南大門です。
鹿と外国人観光客が多いです。
顔がかゆいようで擦っていました。
牡鹿ですが角を切られています。
露店がたくさん出ていました。
せんとくんがいました。
いつの間にか結婚して子供が出来たようです。
今日はここまでで、明日に続きます。
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加賀百万石の城下町・金沢。
歴史と伝統が息づくこの街には、ひがし茶屋街・にし茶屋街・主計町茶屋街と風情あふれる三つの茶屋街が存在する。
観光客が多いのはひがし茶屋街だが、他の二つの茶屋街もそれぞれ違った趣があり、注目すべきである。
さて、今回紹介するのは、にし茶屋街の一角にある「西検番事務所」だ。
「西検番事務所」
金沢市野町二丁目、犀川大橋南方に位置し、にし茶屋街のメインストリートの終わりくらいにある建物である。
茶屋街には金沢の情趣を色濃く残す建物が軒を連ねているが、その中に突如洋風の建物が現れたため、最初はとても驚いた。
この西検番事務所は、芸妓衆の稽古場兼管理事務所として大正十一年に建設された。
洋風の事務所棟と中庭を隔てた木造二階建、和風の稽古場棟とから成る。
事務所棟は寄棟造、桟瓦葺の木造二階建、下見板張りで、明治期に流行したバージボード付きの玄関ポーチに特色がある。
建物の色は落ち着いた水色で、色合いも茶屋街の中で異彩を放っている。
造形の規範になっている建物であると評価されて、平成十五年七月一日に国登録有形文化財に指定された。
この明治の名残を色濃く留める西検番事務所は、にし茶屋街の中では異彩を放つ建物でありながら、見事に情趣ある景観に溶け込んでいる。
にし茶屋街にいらした際には、ぜひ注目してみてほしい。
参考:金沢市のホームページ
やっぱり人気が高い明治♪その訳は・・♪
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車椅子に乗っている彼との
日常を綴っています
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(介助者がいる私たちの日常って?)の続きです*°
私はもともと別の介護派遣事業所で訪問ヘルパーをしていました。
そのときの訪問はもちろん障害の程度にもよりますが、1日に合計3時間くらいで、例えば
8:00~8:30 30分 トイレ介助と朝食づくり
10:00~10:30 30分で トイレ介助と体位交換
12:30~13:15 45分で トイレ介助と昼食づくり
18:30~20:00 90分で入浴介助と夕食づくりとトイレ介助と車椅子からベッドへの移乗
というふうに、訪問時間と、介護内容が決まっていました。(数人のヘルパーで上記をローテーション)
ご縁で自立生活センターに出会って、見守り・待機を含めた24時間の自立生活の介助者となりました。
もともとは上記のような訪問介護をしていたので、最初は24時間もヘルパーがいて何するんだろう?そんなにすることあるのかな?って思っていました。
ときには、『結果的に』なにもしていない時間もあります。でもこの『結果的に』というのがとてもとても大切なのです。
もともと私が働いていた一般的な訪問介護の場合、、
起きたくても起きたくなくても8:00~8:30の間は起きてなきゃいけないし、
10:00~10:30の間に排泄しておかなければ、体位交換しておかなければ12:30までチャンスはない…
18:30~20:00 の間にお風呂に入らなければ、それ以降に入浴はできないし、ベッドに入らなければ、翌朝まで車椅子のまま…?
すべて自分の生活を計画通りにしなきゃいけないんですよね。
外出だって、前もって計画しておかなければできません。
(もちろん障害も程度によるので、ここでは介助者がいないと様々なことができない人、と考えてください。)
でも、24時間介助者がいれば、起きたい時間に起きることができるし、排泄だってしたくなったらすればいいし、入浴だって自分の決めた時間に入ることができる。
1時間ぼーっとしたいときは介助者にその旨を伝えてぼーっとすればいい。
コンビニの肉まんが食べたくなったら買いにいけばいい。
そして、疲れて朝ゆっくり寝たいときは寝たいだけ寝ればいい。
自分の生活を自分で組み立てていくことができるのです。
✎︎____________
介助者になって、
「フレンチトースト食べたいからつくって」と夕方の16:00に言われたときに。
前の仕事で訪問して訪問してた人たちは、16:00にお腹が空いたらどうしてたのかなぁ。。って初めて考えました。
もちろん、私たち健常者だって、いつもいつもしたいことをしたいときにできるわけではありません。
でもできるけどしない、というのと、できないのは全く違う。
食べようかなぁ~って思えるのと、はなから食べれないのは全く違うことだなぁって思うのです。
お腹すいたな、なにか食べようかな
冷えたな、お風呂に入ろうかな
天気がいいな、外に行こうかな
今日は夜更かししようかな
私はこの「いつでも思いつく自由がある」ことにとても感動したのを覚えています。
小さなことだけれど、とてもとても大きな自由だと思います。
そして質問を頂いたのですが
介助者は無償のボランティアではありません。
もちろん制度が整っていない時代はそうでした。
今話題のこのこの映画
の主人公、鹿野さんもボランティアを集めて生活をされていた人です。
でも、それは制度が整っていなかったときのこと。
本来はボランティアではなく、この生活は保障されるべきことなんですよね。
ボランティアは自力か周りの人たちによって集められることになると思います。
声を出せる人はいいけれど、周りが積極的に集めてくれる人ならいいけれど、鹿野さんのように人間的魅力がある人ならいいけれど、、、
そうじゃない人はどうなるのでしょうか?
ボランティアを募っています、と声が出せない人の生活は?
周りも助けて、と言えない人の生活は?
どんな人でも、どんな状態でも、生きていく権利があります。だから、制度であるべきなのです。
そしてボランティアはやっぱりあくまでボランティアで、ボランティアの来れるときに…というボランティア主体の生活になる可能性をはらんでいます。
なので、自立生活センターの事業の一環として、自立生活センターの理念に沿った介助ができる事業所をもっているのが通常です。(小さな団体はまた別の方法もありますが、それはまた)
そこの事業所から派遣されて、そこから私たち介助者はお給料を頂いていますよ*°
✩ ⋆ ✩ ⋆ ✩ ⋆ ✩ ⋆ ✩ ⋆ ✩ ⋆ ✩
最後に、りょーたくんが一昨年書いた記事を載せます。
私たちがこうやって笑って一緒に過ごせるのも、運動をしてきた人たちがいて、制度をつくり、そして守り抜いてきた先輩方のおかげです。
自立生活あってこその、結婚生活。
私たちのライフスタイルがどんなふうになっていくかはまだまだ未知数だけれど────
介助者さんに理解してもらいながら、3人の心地よい生活をつくっていけたらいいなぁと思います。
長くなりましたが読んで頂きありがとうございました(*´ `*)
(関係ないけど、明治安田生命のcmに応募してみた写真。笑)