Wikipediaが好きな人に悪い人はいない
お客様、みなさまこんにちわ
まったり、ゆったりとした寝正月をお過ごしの方、
サービス業などでお正月返上の方、色々な方がおられるでしょうが、
明けましておめでとうございます。
お正月と言えば初詣。
正直、意味も解らず行かれてる方も多いのでは
友達や家族が行こうと言うから行ってきた。
なんかみんな行ってるし・・・。
もはや目的が屋台やおみくじと化している方。
などなど、なんとなく的な方も多いように思います。
では、初詣とはなんぞや
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江戸時代末期までの元日の社寺参拝としては、氏神神社に参詣したり、居住地から見てにあたる社寺に参詣()したりといったことが行われた。
一般的には、に参拝するのを初詣といっているが、1月中に参拝も初詣とする考え方もある。また、回数に関する規定も無い。多数の神社仏閣に参詣すれば色々なご利益があるという説もあり、その場合神社仏閣を特に問わない。例えば西日本の一部地域の様に「」などと言って正月三が日の内に複数(多くは3社程度)の神社に参拝するのが習慣となっている地域もある。
Wikipediaより抜粋
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昨一年の感謝を捧げて今年一年の無事を祈願する。
これさえクリアすれば、屋台にすべてを捧げても、おみくじにすべてを託してもOKと言うところですかね。
そんなこんなで
わたくしダニエルも初詣行ってきました。
同じ場所に2回
最上稲荷でございます。
今年は願い事が山のようにありましたのでね・・・
お賽銭も奮発して15円。十分にご縁がありますようにと。
そして願い事が叶うか、
今年1年をどのように歩めばよいか指標を頂くべく、
7連連続で「大吉」を射止めているおみくじへと。
2日連続で同じ番号の大吉
友人曰く
「これは確定だろ」
「これで良い年にならなきゃ何も信じられない」
なんだか願い事が叶いそうな予感です。
きっと来年の今頃は「石油王」です。
本当にありがとうございます。
それはそうと神様。
3年前のおみくじの件なのですが・・・。
まだっすかね
ホテル サンパレス
岡山県倉敷市山地1394
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前回予告の通り、今回は正月休みの終わりに
実家を離れる日になりました。
石油ストーブの前でぬくぬくと暖まる「クマちゃん」。
寝ぼけたような目つきで、応対してくれました。
家を出ようとしたところ、
親父殿が突然「写真を撮ってくれ」と言い始めました。
小生は心中「突然何を言い出すのだろう」と少し困惑しましたが、
兄貴殿の撮影で、二人で写真に納まりました。
お名残り惜しくも実家を後にしますが、
真っ直ぐ自宅に帰らず寄り道するのが「カッキー流」でした。
海の向こうに街並みが見えてきました。
街の景色がこんな風に登場する展開は好きですね
「小樽」に到着しました。
古風な佇まいを残す駅舎、旅情を感じます。
駅近くにある「三角市場」を訪問。
海鮮品が所狭しと並べられていましたが、、、
お目当ての食堂は、どこも長い人待ちの状態。
訪問するつもりだったお店は2時間待ちの状態。
結局諦めて、少し離れた場所に移動しました。
訪問したのはこちら「シロクマ食堂」
小樽運河にほど近い場所にありました。
昼間は軽食、夜はバーといったところでしょうか。
メニュー表を見たところ、洋風の食事が多いように感じました。
でも注文したのは「生本マグロの海鮮丼」
先ほどの「三角市場」での出来事が少し悔しかったのでした。
この海鮮丼は本マグロやカニや貝類の他、
「アボカド」など海鮮とは言えないものも含まれていました。
色とりどりの海鮮丼だなぁ~と思いながら、
最後まで美味しく頂けました。
この後は、小樽運河を横目に、次の場所へ移動。
お次は「小樽総合博物館」を訪問。
鉄道関連と青少年科学技術を統合した施設。
銅像の主は「ジョセフ・U・クロフォード」氏。
北海道最初の鉄道、札幌~手宮間の建設に尽力された方。
残念ながら本記事を書いた時点で、
Wikipediaの掲載が無いことが判明しました。
入り口は、昔の鉄道改札を模したようなつくり。
内部は「しづか号」など鉄道関連の展示。
それと「青少年科学技術」っぽい展示もありました。
これは「自分自身の手と手つなぎが出来る」凹面鏡。
凹面鏡は脚が短く見えるので好きじゃない。(笑)
訪問の最後に「プラネタリウム」を見学しました。
「明後日1月6日午前中に部分日食」があるそうで、
観察の時の注意点を教わりました。
部分日食は、日本各地で見られますが、
特に北海道など北国で良く見えるそうですよ。
小樽の寄り道旅は、夜どき編に続きます。
Wikipediaでパワーアップ
3次元よりもっと高次元のところから何かが降りてくる時、
”しかたなく”現世の衣をまとうコトがあります。
形・名称という誰にもわかる形でそれらは表されるコトが多いのですが、
その事象のみに振り回されたり、こだわったり、そういう向きが
”情報化社会の反動”とも言えるのでしょうか、
昨今増えている気がします。
答えのみ、形式、ブランド、肩書き、年収、資産等、
わかりやすい”形”のみを求めてしまう信仰(もはや信仰と言えそう!)はその典型例な気がします。
知ることと識ることは同じ”読み方・シル”でも天と地ほどの差があります。
wikipediaで知ることはできても、
朝まで語れるほどの、経験に裏打ちされた熱量を持ったトークを展開するコトは
ただ”知っている”だけでは無理でしょう。
やはり魂に経験を通し、何かを刻み込んでいくこと、織り込んでいくコトが大事なのです。
経験を通し血肉にしていくことでしか説得力、熱量、パワーが発生しないので、人間界を数十年生きていくと
その”しっている”が”知っている”か”識っている”なのかは大きな差となります。
そして、昨今のネタで言うと、
そういう紹介のされ方もされますし、本も上梓させていただいているのであえて自称しますが”神社フリーク”としては
神事系のことでもよくそういうコトが起きているような気がします。
例えばですが、
寺社仏閣・神社によくある、
〜〜〜尊像、〜〜明王像みたいなものとか、
ご本尊がここにいらっしゃって…とか、
拝殿の向こうに神様が〜、
ここのご利益は〜、
なんの神様で〜どこどこと夫婦神で〜、
とか。
〜〜明王、
〜〜〜観音等は
”偶像”であり、
高次のエネルギー体が形を与えられたものです。
決して高次の存在の方々?があの通りのお姿というわけではありません。
もっと言うと”お名前”ですら、
かなり暴言ですが、本来はどうでもいいものなのかもしれません。
エネルギーに敏感な方ならお分かりになるかと思いますが、
”〜〜〜観音”と、マリア様の波長、
”〜明王とミカエルの波長はほぼ同一のものであり、
洋の東西の違いでその”偶像の描かれ方”に違いがあるだけ。
その時、その時代の絵師、彫師、アーティスト?によって形を与えられたものであり、刻まれたもの。
その”刻”(時が刻まれたもの・エネルギー体が宿るもの)されたものが〜〜〜さまでこういう色の服をお召しになられていて、
というのは人間の都合でそういう風になっているだけです。
もっというと、
ご本尊の位置も、神社の境内の中にある神様の本来の位置、居場所も人間の都合で勝手に解釈されたり、
うつされたものも多いです。
それゆえ、神社に行ってみると”思わぬ場所に神がかった波動を感じる”ことがあります。
諸事情あるので、細かく書けませんが、有名な神社・寺社仏閣でもそういうコトはあります。
本堂・拝殿のみが神様・高次の波動との接点であるというわけではないのです。
もちろん拝殿は”公式に拝める場所”でもあるし”お賽銭を入れる”場所もそこなのでもちろん
拝むコトに意を唱えることはないですし、良い行い?だと思いますから気持ちよければそれで良いのですが、
拝殿”=カミクラ”というわけではないのです。
余談ですが、境内内をマインスイーパーのように”エネルギーを探して歩く”のもある意味楽しいものです・・・
某映画みたいに、good god hunting…..的な感じで。w
そしてパワースポットという場所も、人によって合う合わないというコトもありますし、
そういう能力者だけが感じやすい場所というのもあります。
パワーの質・もしくは開眼して良い時期・タイミングもありますからみんながみんな”反応する場所”というわけでもないです。
何も感じなくてもがっかりしなくて大丈夫です。
感じるべきタイミング、感じるべき場所、もしくは覚醒の同伴者というのがいるはずですから。
いずれにしても形よりももっと大事なのは”本質”、裏側を流れるエネルギーを見るコト・聞くこと・感じるコト、です。
名前・形はあくまでオプション程度のものであり、
呼びしろでしかありません。
うちの子供ーー!!
いった場合に
うちの子供という存在が
何人もいたらどの子をよんでいるのかわからないから、
一郎、
二郎、
三郎にした!
ぐらいのことです。 爆
よびしろにこだわらず、たゆたうエネルギーに目を向けてみてください。
もっと楽しいもの・豊かなものをその体で目で耳で、感じ取れると思います。
Wikipedia 関連ツイート
散つては咲く梅の水かへる
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昭和6年(1931年)1月7日
「行乞記 三八九日記」
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1月7日 https://t.co/j0RFhqe2jI
相模原障害者施設殺傷事件 – Wikipedia https://t.co/85RvDAr0Sa