見てくれの歩き方
見てくれから学ぶ印象操作のテクニック
『絵師といふもの』
絵師の村上瑞雲は変わり者で有名だった。
大名にいくら金を積まれても描きたくなければ引き受け
ず、貧乏人の依頼であっても興に乗れば引き受けた。
「所詮ただの紙じゃ。儂が色で汚したかどうかの違いに過
ぎん」
そう言い続け、誰もが絶賛する腕前でありながら巧拙を語
ることは一切しなかった。
質素な暮らしぶりとは裏腹に、瑞雲の絵には制限という概
念がなかった。
色も形も常識の枠に囚われることなく、描かれたものが紙
を蹴破る勢いでその存在を高らかに誇り、見るものの心を
一瞬で鷲掴みにした。
描かれた絵がどのようなものであっても、全てが瑞雲その
ものであり、技巧や精神には依存しない。
それゆえ他の誰も真似ができず、描き方を他者に教えられ
る手合いでもなかった。
娶らず、主(あるじ)におもねらず、徒党を組まず、弟子
を取らず。
瑞雲は一人きりで飄々と暮らし続けてきた。
−=*=−
五十の声が聞こえるようになった頃。
型に囚われなかった瑞雲の暮らしが、少しだけ変わること
になった。
長(なが)の付き合いである江川藤安(とうあん)から、
多助という年の頃十四、五ばかりの小僧を押し付けられた
のである。
「瑞雲、済まんな。こやつの才は生半(なまなか)ではな
い。じゃが、なかなかに難しうてな。お主が弟子を取らぬ
ことも、その故もよう知っておるが、少しばかりこやつを
みてくれぬか」
いかに自由人の瑞雲であっても、気の置けない友である藤
安の頼みは無下に断れなかった。
「どれ、まず絵を見せてくれ」
藤安の屋敷を訪った瑞雲は、絵を見る前に多助の身の上を
藤安から聞き出した。
多助は、商家の小倅(こせがれ)ながら商売にはこれっ
ぽっちも興味がなく、幼い頃から絵ばかり描いていたらし
い。
末子である多助は継代に関わらないので、親は多助の描き
たいままに描かせてきた。
誰にも強いられずに描きたいものを描く。
そこは瑞雲と同じであったが、描かれる絵は瑞雲とあまり
にも対照的であった。
親が藤安に多助を預けに来た時、藤安はその絵を見た瞬間
頭を抱えてしまったらしい。
技術的には、並みの絵師の水準をはるかに凌駕していた。
天才と言ってもいいだろう。
だが、描かれるものがあまりに馬鹿正直だったのだ。
松は松。竹は竹。
目の前にあるものを、まるで絵の中へ移すように描く。
写実の才は図抜けていたが、誇張、変形、強調、補完……
そのような想像力で裏打ちされる要素が全くなかった。
あるものをある通りに描けと命じることは容易いし、それ
は教えられるだろう。
だが、ないものを自分で想い起こして描けというのは、難
しい上にそうそう教えられるものではない。
藤安の他の弟子たちが、梅花に嬉しそうに鶯やら老爺を描
き添えるのを見て、多助は嫌悪の表情を浮かべたらしい。
なぜそこにないものを描くのか、と。
絵が単なる記録役を果たすだけで済むのならば、多助の腕
を活かせる職はあろう。
だが、いっぱしの絵師を目指すならば、ただ写すだけが能
ではいかんともしがたい。
ものになる見込みがなければ、単なる道楽だと割り切らせ
ればいい。
しかし藤安は、多助の優れた腕をこのまま腐らせるのはど
うにも惜しいと案じたのだ。
藤安が差し出した多助の習作にさっと目を通した瑞雲は、
相好を崩して何度か頷いた。
「いい腕をしとる。確かにもったいないな」
「どうじゃ。みてくれるか?」
「おお。引き受けよう」
渋られるかと思った藤安は、瑞雲が快諾したことを半ば喜
び、半ば訝った。
珍しいこともあるものだ、と。
−=*=−
多助をあばら屋に呼んだ瑞雲は、一月ばかりを無為に過ご
した。
何も描かず、起きては近傍の山野を散策し、帰って飯を
食って寝る。
淡々とそれを繰り返し、多助にも同じようにさせた。
描くこと命の多助にとって、紙も筆も絵具も使えないこと
は拷問に近かった。
最初の半月ほどはなんとか我慢していたものの、その後は
瑞雲の前で露骨に不平不満を口に出すようになった。
だが、瑞雲は一切それに耳を貸さず、ただにこにこしてい
るだけ。
たまりかねた多助がもう逃げ出そうと意を決したその日。
いつものように朝餉のあとで多助を伴って散策に出かけた
瑞雲が、ふと立ち止まって冬枯れの雑木林を見渡した。
寒々とした裸木の間で、濡れ緑の松がわずかに彩を足して
いる。
それは、とても絵面になりそうもない寂しい光景だ。
頭上に差し掛かっていた楝(おうち)の梢を見上げた瑞雲
は、落ち残っていた色の薄い葉を指差した。
「のう、多助。お主なら、あれをどう描く?」
「そのままに描きますが」
なぜわかりきったことを聞くのか。
軽蔑の混じった口調で、多助が返事を放った。
「ふむ」
その声音(こわね)を咎めるでもなく、瑞雲はそのまま歩
を進めた。
数間進んだところでまたも足を止めた瑞雲は、今度は頭上
の松の枝を見上げた。
どんより曇った冬空の下。
その乏しい光すら遮っていた松の枝葉は、逆光で色を失
い、黒く淀んでいた。
「のう、多助。お主なら、あれをどう描く?」
「そのままに描きますが……」
多助の返事は同じだったが、その口調から軽蔑の意が落
ち、代わりに戸惑いが混じった。
一つ頷いた瑞雲は、樹下から数間歩き過ぎると来し方をく
るりと振り返った。
松葉に光を奪われていた頭上が光を取り戻し、先ほど真下
で見上げていた二本の木の外観がはっきりと見比べられる。
楝の褪せた緑は冬枯れに埋もれて消し飛び、枝の骨しか目
に入らなくなった。
逆に松は、取り戻した光を受けて葉の濡れ緑を際立たせて
いた。
「おぬしは、あれらをどう描く?」
多助は押し黙り、顔を伏せてしまった。
−=*=−
嘘をつくな。常に正直であれ。
自由に絵を描かせていた多助の親も、商家のならいで正直
に生きるようにと多助を躾けていたのだろう。
確かにそれは誤っていない。
瑞雲
、親が多助に授けた処世訓をいじるつもりは毛頭な
かった。
瑞雲が指摘したのは、万物の見てくれがほんの少しの光加
減でも変わってしまうという事実だ。
同じものでも、晴れた日とそうでない日に描けばそれぞれ
別物に見える。
それをいくら同じだと主張しても、絵だけで真偽を区別す
ることは誰にも出来ない。
正直に絵を描くことはできても、絵に正直者であれと強い
ることには無理があるのだ。
瑞雲は、絵と処世訓とをばっさり切り離した上で、厳しい
問いを投げかけた。
「おぬしが見える目、描ける手、話せる口を全て失った
ら、なんとする?」
「う……」
多助は真っ青になった。
「難儀なことじゃが、それでも儂らは生きておってな。儂
はこれこれこうじゃと我を張るじゃろう」
「……はい」
「見えなければ触って確かめる。手がなければ代わりに口
や足を使う。口が利けなければ書いて示す。どこまでも我
を張るならそれしかあるまい」
「は……い」
「儂にとって絵とはそういうものよ。儂は、絵筆を持たず
とも常に絵を描いておる。寝ている間すらな」
見えているものをそのまま書き写す。
たったそれだけのことですら、どんなに根を詰めてもほん
の一部しか叶わない。
ならば、欠けた部分は全て己を削って埋め合わせなければ
ならない。
埋め合わせに使う己がやわならば、何をどう描いたところ
で穴だらけの絵にしかならんぞ。
瑞雲の示唆は、簡素にして十分だった。
そして多助は、瑞雲が己の全てを絵に転化させていること
を思い知らされ、空恐ろしくなった。
−=*=−
結局。
多助は、絵が道楽の域から抜け出していなかった己の生温
さを深く恥じ入り、生家に戻った。
しかし、藤安も瑞雲も逃げ帰った多助を一切責めなかった。
「描きたくなればまた描き出すじゃろう。それが絵師とい
うものの性(さが)じゃ」
「ははは。そうじゃな」
All Of Me by John Legend
《 ぽ ち 》
ええやんかーと思われた方は、どうぞひとぽちお願いいた
しまする。(^^)/
病める時も健やかなる時も見てくれ
エウレカ2のこのモードDとは、
絶対当たると思ってました。笑
え?え?え?え?え?
ない…
一回落ち着くためにトイレに行きましたね←
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